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特集記事!




あるTVカメラマンの(ベトナム)戦後史~「内藤泰子さん救出」後編
◇ベトナム軍に保護されていた内藤さん ベトナム政府が「捜索」していた内藤泰子さんは、タイ国境に近いシソフォンという町にいた。ポト派政権崩壊時、カンボジア北部にいた内藤さんは、ポト派兵士の目をかいくぐり、養女の実家のあったこの町に逃れてきた。そして、町の役人に日本のパスポート...

akiyamabkk
2024年5月14日


あるTVカメラマンの(ベトナム)戦後史~「内藤泰子さん救出」前編
長年にわたって日本電波ニュース社のチーフカメラマンだった鈴木幸男さんの回想記です。今回は、1979年、ポト派虐殺政権崩壊後のカンボジアで行方不明になっていた内藤泰子さんの救出劇。ポルポト虐殺政権から解放されて半年後のカンボジアの姿を、率直に綴った貴重な記録となっています。こ...

akiyamabkk
2024年4月30日


あるTVカメラマンの(ベトナム)戦後史⑤~「解放後のアンコールワットを初撮影」(後)
◇第二、第三回廊から中央尖塔へ 第二回廊も見るべきものが多大だった。森本右近が残したと言われる落書き、ポルポト時代に首を落とされた仏像、一体一体顔形の違ったデバダー(女神)のレリーフ、幾ら見ていても飽きが来なかった。ここを抜けると中央本殿である。本殿に上がる階段はかなり急な...

akiyamabkk
2021年7月17日


あるTVカメラマンの(ベトナム)戦後史④~「解放後のアンコールワットを初撮影」(前)
1976年の南北ベトナム縦断取材、1979年ポト派虐殺政権崩壊後のカンボジア取材、などの経験を経て、鈴木幸男さんはカメラマンデビューを果たす。そして1981年、ホーチミンに赴任していた鈴木さんは、再びカンボジアを訪れ歴史的瞬間に立ち会う機会を得る。ポルポト派の支配下にあって...

akiyamabkk
2021年7月16日


あるTVカメラマンの(ベトナム)戦後史③~「初めての海外取材(三)ホーチミンに到着」
途中各所で取材しながらの道中であり、ハノイを出て一週間くらいはかかったと鈴木さんは回想する。一行はようやく、ホーチミンと名を変えた旧サイゴン市内に到着する。ホーチミン市には、アメリカの経済的バックアップを受け爛熟した資本主義を謳歌していたサイゴンの面影がまだ残っていた。...

akiyamabkk
2021年7月6日


あるTVカメラマンの(ベトナム)戦後史②~「初めての海外取材(二)17度線を越えた!」
※ハノイ―ホーチミン間は道路距離にしておよそ1600キロ、道がよくなった現在でも車で30時間はかかろうという道のりである。しかし、当日、鈴木さんたちの前に現れたのは頑丈そうだが年代もののソ連製のバスだった。 ◇ハノイを出発...

akiyamabkk
2021年7月4日


あるTVカメラマンの(ベトナム)戦後史①~「初めての海外取材(一)、ハノイ到着」
◇初めての海外取材 ※鈴木幸男さんは、1950年茨城県土浦市生まれ。高校卒業後、千代田テレビ技術専門学校の夜間部に学び、テレビカメラマンを目指す。1973年、日本電波ニュースの契約社員となり、助手としてカメラマン修業を始める。しかし、そのころの本職はまだバイクのメッセンジャ...

akiyamabkk
2021年7月2日


予告 あるTVカメラマンの (ベトナム) 戦後史
鈴木幸男さん。2003年バクダッドにて。 予告です。日本電波ニュース出身のTVカメラマン、鈴木幸男さんの手記を連載します。1976年、解放後のハノイに降り立ってから、ポルポト虐殺政権後のカンボジア、中越戦争、故橋田伸介氏とのイラク取材まで、鈴木氏に波乱万丈の撮影人生を語って...

akiyamabkk
2021年5月30日
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