top of page

唱歌「聖母の御子」(カタロニア民謡/日本語歌詞by Deji BKK)

  • 執筆者の写真: akiyamabkk
    akiyamabkk
  • 2024年8月16日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年12月30日



カタロニア民謡「聖母の御子」に日本語の歌詞をつけてみた。


世界の名曲を紹介する労作サイト Worldfolksongcom によれば、カタロニア語の歌詞は以下。


御子に何を差し上げよう

良い物を差し上げよう

レーズン、イチジク、

ナッツにオリーブ レーズン、

イチジク、ハチミツに凝乳


聖母マリアの幼子に何を差し上げよう?

かわいい幼子に何を差し上げよう?

秤に乗せたレーズンか

カゴに乗せたイチジクか



この可愛らしい原詞から三番の歌詞を作った。


若い頃は、大人より子供が亡くなる方が、悲劇性は薄いと思っていた。世の中のことを知らないだけ、この世に未練もないだろうと。


しかし、年をとると、子供が死ぬということは、当人もそうだが、むしろ周りの大人とっての悲劇なのだとわかる。子供に対する愛情ということももちろんあるが、子供の存在というのは、自分がいなくなった後も、この世の中があるということの、なんというか、自分が生きてきた世界の、その後の継続性の根拠なのだ。


これは特定の信仰を持たない人間の殆どがそうなのではないか?あるいは信仰を持つ人にとってもそうかもしれない。別に自分の子供である必要はない。自分がそういう感情を抱いている子供も、血縁という意味では、自分の子供ではない。


パレスチナで子供が死ぬ報道が連日のようになされるので、最近、そういうことを思った。



次はアベマリアバージョン。


メロディはセゴビアの「聖母の御子」を大体で耳コピ―し、教会音楽風にアベマリアの歌詞を重ねて和声にしてみた。カンタルフィルモスという中世の和声合成法のマネゴトである。





「母の胸に抱かれし・・・」という歌詞は古文の文法として正しくないかもしれない。「母の胸に抱かれている」という現在の意味で書いたのだか、古文的には「抱かれていた」という過去の意味になるようだ。


後のバージョン(上にアップしたもの)で「母の胸に眠れる」と訂正したが、この御子をイエス・キリストと解するならば、「抱かれし」と過去形でもよいかもしれない。なんせ2000年以上も前に生まれた人なのだから。自分としては、サビの部分は「母の胸に抱かれるすべての赤ん坊」という意味で作ったのだが・・・。


以下、朗詠パートに使った堀内敬三のアベマリア訳詞。


アベマリア


アヴェ マリア わが君

野の果てに歎かう

乙女が祈りを

憐れと聴かせたまえ

み許に安らけく

憩わしめたまえ

悩める此の心

君に祈ぎまつる


アヴェ マリア わが君

巌の臥床にも

君が恵みのもと

安けき夢はあらん

君笑ませたまえば

花の香は絶えじ

便るべなき乙女

君に祈ぎまつる


アヴェ マリア わが君

まがつ日のおそれも

君が御光に

雲と散りて消えん

ひしがれし心を

君がいやしたまえ

限りなきしんもて

君にねぎまつる


この朗詠パートは、音が和声として調和していれば、言葉の意味は聞き取れなくてもいいらしい。自分の付け焼き刃の理解ではそうだが、間違っているかもしれない、



アカペラバージョン。





最初のものもそうだが、曲の最後に基音に戻る時、和音だった歌声が唐突に一つになるのが気になる。人の歌声だと基音に戻っても、ユニゾン的に声の重層性は保たれるので、不自然には聞こえないのだろうが、ボーカロイドだと全く同じ声なので、響きが一つになってしまうのである。


口直しというか耳直しに、アンドレス・セゴビアの「聖母の御子」




<了>



参考・使用ソフト


Sinsy 

 

ぼーか郎 

 

楽譜制作ソフト 


bottom of page