街角ピックアップ〜村を守護する神と精霊たち
- akiyamabkk

- 2024年11月29日
- 読了時間: 9分
更新日:2024年12月19日
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タイ人の家や会社、工場、お店、スポート会場、オフィスビルなどなど、すべての建物の傍らに存在する「サーンプラプーム」=「屋敷祠」、土地神、氏神を祀る小さな廟である。以下、「サーンプラプーム」についての Wiki タイ語版の説明を ChatGPT で翻訳したもの。意味は通じるので、手直しはしていない。
サーンプラプーム(ศาลพระภูมิ)*とは、守護霊や神々が宿る場所として建てられる祠を指します。これはタイ全土で一般的に見られるものであり、ラオスやカンボジアにも存在しています。その形状は、小さな家や祠のような建物で、1本の柱の上に建てられたり、コンクリートや木で作られる場合があります。設置場所は吉兆とされる場所で、たいていは敷地の隅やフェンス沿いに設置されることが多く、1つの家に複数のサーンプラプームがあることもあります。
プラプーム(พระภูมิ)とは、建物や家屋、オフィスなどの場所を守護する霊や神聖な存在を意味します。タイでは、家を建てる際に、家を守るための守護霊を祀る信仰が古くから根付いており、新居を建てる際には、必ず守護霊を祀るための儀式を行い、サーンプラプームを設置して神霊を招きます。これにより、家族が幸運に恵まれ、健康で幸福に暮らせると信じられています。
サーンプラプームの設置には、バラモン僧を呼んで吉日や方角を見てもらい、儀式や供物の準備を行います。バラモン僧は儀式の日取りに基づき、必要な供物を指定します。伝統的なバラモン教の教えによれば、サーンプラプームは北向きか東向きに設置するのが望ましいとされています。
サーンプラプームへの供物は、花輪、花、食べ物などを供えることで行われます。これは家の儀式を行う前や、重要な日を迎える際に行われるのが一般的です。
以下、チャオプラプーミ、もしくはチャオティーのバラモン神9柱の内訳。(ChatGPT 訳)
プラプーム(守護神)とその伴侶(プームチャーヤー)の一覧
サーンプラプーム

土地神・プラプームの像(プラプームチャイモンコン像)

以下は、これら屋敷祠に住む土地神たちの来歴。これも ChatGPT がWikipediaを訳したものをそのまま掲載する。
古の物語
昔、パーラーナーシー(バラナシ)の王位に君臨していたトサラート王がいました。この王国は偉大な国とされ、王妃の名前はサントラトゥックテウィ。彼女は9人の王子を出産しました。その王子たちの名は以下の通りです。
チャイモンコン王子
ナコーンラート王子
テーペル王子(またはテーペン王子)
チャイソップ王子(またはチャイサップ王子)
コンタン王子
タムホーラー王子
テワテーン王子(またはワイタット王子)
タムミックラート王子
タータターラー王子
各王子に割り当てられた領地
成長した王子たちは、パーリ王からそれぞれの役割を与えられ、以下の場所を治めることになりました。
チャイモンコン王子:家屋や商店などの建物を管理。
ナコーンラート王子:門、城塞、戦闘の塔、階段を管理。
テーペル王子:家畜小屋を管理。
チャイソップ王子:食料倉庫、穀物庫を管理。
コンタン王子:婚礼の儀式会場や新婚用の家を管理。
タムホーラー王子:山、森、農地を管理。
テワテーン王子:寺院や聖なる場所を管理。
タムミックラート王子:植物や穀物、庭園を管理。
タータターラー王子:池、井戸、小川、沼地、運河を管理。
仏陀の出現と神々の困窮
時が経ち、仏陀がこの世に出現しました。仏陀はパーリ王に「三歩の土地」を求め、教えを広めるための場所としました。仏陀が2歩進むと、その歩幅はすべての領域を超えてしまいました。結果として、土地を失った神々は住む場所を失い、供物も得られなくなり、困窮しました。
このため、トサラート王は9人の王子を派遣し、仏陀に供物と土地の返還を嘆願させました。仏陀は人々に対し、「これから家を建てるとき、仏塔や菩提樹、寺院、集会所を造るときには、必ず地元の神々に知らせるように」と告げました。
もう一つの伝説:トサラート王の堕落
別の伝説では、トサラート王は強欲で無慈悲であり、人々を虐げ、供物を強要していました。その悪行により、人々は苦しみ、抵抗することもできませんでした。この事態を知ったシヴァ神は、ヴィシュヌ神に命じて化身として地上に降り立たせました。
化身したヴィシュヌ神は若きバラモンとして成長し、トサラート王に会いに行きました。バラモンに感銘を受けた王は、何を望むか尋ねました。バラモンは「たった3歩の土地」を求めました。王はその要求を受け入れ、聖水を注いで誓いましたが、師匠であるシュクラ神はバラモンの策略を見抜き、聖水の流れを止めようとしました。しかし、バラモンは草の先でシュクラ神の目を刺し、痛みを与えて追い払いました。
その後、バラモンは元の姿に戻り、巨大な体で3歩を踏むと、パーリ王国全体を飲み込みました。トサラート王は恐れて謝罪しましたが、ヴィシュヌ神は王とその家族を追放し、ヒマヴァンタの外に追いやりました。
贖罪と赦し
追放されたトサラート王と王子たちは苦難に直面し、過去の罪を悔い改めました。そして、再びヴィシュヌ神の元を訪れ、真摯に謝罪し、善行を誓いました。ヴィシュヌ神は彼らの誠意を見て赦し、再びパーリ王国に戻ることを許しました。ただし、王としてではなく、1本の柱で支えられた庵で暮らすこと、誓いを守らなければならないという条件付きでした。誓いを破れば、再びこの世に住むことは許されないと告げられました。
引用終わり >>>>>>>>>>>>>>
プラプームとは、バラモン教や仏教の伝来以前から信仰されてきた、土地神たちを象徴する存在のようだ。上位の存在に「まつろった」ことと引き換えに、限られた私的な土地の支配者として、存在を許されたマイナー神たち・・・というところだろう。しかし、この「3歩分の領土」を乞うて全てを奪ってしまうブッダのやり方は、庇を借りて母屋を乗っとる体で、フェアでないと思うが、どうだろう。お釈迦さまらしくないやり方ではないか。
またこの他にも、バラモン・ヒンズー教の神々が、土地の守り神として祀られるケースもある。土地神であるプラプームの上位に位置する、天上の神々である。タイでは、創造神であり、ヒンズー教の三神(トリムルティ)の一柱、ブラフマー神が祀られることが多いようだ。このような守護神が置かれた廟は、サーンプラプロームと呼ばれる。(サーンプラプームと紛らわしい)
プラプロームの廟

しかし、これらの一見して高価な守護神の像は、都会の高層ビルや店舗などの商業施設、政府機関の建物などにしかなく、イサーンの田舎で祀られているのは、ほとんどが、下の写真のような、お年寄りの夫婦者なのである。


この老夫婦は、タイ語で「ターヤーイ」と呼ばれる。「ターヤーイ」は、インド起源の難しい言葉ではなく「お祖父さん、お祖母さん」を呼ぶ日常語だ。(自分達夫婦も毎日そう呼ばれている)母方の祖父母を指し、タイでは伝統的に、母方の家系が重視されていた証左であると解説にあった。
いくつか解説を読むと、「ターヤーイ」は「神様」ではなく「ピー(精霊、幽霊、お化け」と見做されているようだ。だから、チャオプラプームと並べて祀られる場合は、一段低い場所に据えられる。

上の写真中央がサーンプラプーム、向かって右側がサーンターヤーイである。
プラプームのストーリーが、土地の守り神がバラモンの正統的神様や仏教に制圧される過程を示しているとすれば、「ターヤーイ」祠のこの従属的なあつかいは、土俗的祖霊信仰が、既に屈服した土地の守り神たちよりも、さらに一段下にみなされているということを意味しているのだろう。しかし、現実には、村や家々の祠では、ほぼ例外なく、この「ターヤーイ」の精霊が祀られているのである。
いずれにしろ、こういうことを信じない自分にとってはただのミニチュア、お人形さんではあるが、ミニチュアとして、オブジェとしての魅力があるから、つい見かけるとシャッターを切ってしまう
うらうらとミジンコの水が明るい 万斛
・・・というような光景、そして、見ているうちに
うらうらと爪切る昼の足のうら 万斛
みたいな気分になるのだ。
・・・最初の句は、屋敷祠の神様や精霊たちに供えられたコップの水をうたったものだ。(松山俳句ポスト、季語「うらうら」のお題で「人」二句入選!自慢!)南国の陽光の中で踊っている色鮮やかなミニチュアたちを見ていると、胸の中に明るい光がさしてきて、憂鬱だった気持ちも少しは軽くなるのである。おそらく村の人も、同じ思いで、祠をカラフルに飾るのではないか。彼らの迷信的信仰は理解できないが、そういうことなら、彼らの気持ちが少しは理解できるような気がするのだ。
以下は、バンコクとその周辺(一部、ラオスのものもある)で撮影した屋敷祠の登場人物たち。稚拙な造作だが、なんとなく可愛らしい、愛おしくなるようなミニチュアの精霊たちでしょう。
<了>
※参考 Wikipedia から





















































