「メナムの残照」というタイの小説をご存じだろうか?第二次大戦中、日本軍駐留下のタイを舞台にし、帝国陸軍将校小堀とタイ人女性アンスマリンの悲恋を描いた小説である。今風に言えば歴史的ハーレークイーンロマンスというところか。
「メナムの残照」は日本人訳者がつけたロマンチックな邦題で、オリジナルの題名は「クーカム」という。「運命の二人」とでも訳すべきだろうか。クーはカップル、カムは日本語の業にあたる言葉だから、「前世からの悪い業を背負って幸せになれない運命の二人」という含意がある。
太平洋戦争勃発後、日本軍はタイに「平和進駐」とは名ばかりの軍事的居座り(占領とまで言うとタイ人に失礼だろう)を続け、タイ人の反発をかっていた。小説は、自由タイの抗日運動を背景に、お互いに惹かれながらも、心を許しあえない「運命の二人」の悲恋を描いている。
小説は1969年に発表されてベストセラーとなりタイの恋愛小説の古典となった。それ以降、なんと、テレビドラマで6回、映画で4回も映像化されている。一番最近は5年前、当代屈指の人気俳優、スクリット・ウィセットケーオ(通称ナデット)の主演で画化された。
原作者のトム・ヤンティ女史は、奇しくも太平洋戦争開戦80周年の今年、85歳の生涯を閉じている。
上にあげたのは、バンコクにある博物館、Museum Siam のフェイスブック投稿。記事のテーマは、「メナムの残照」に出てくる脇役二人に関するトリビアだが、出版後半世紀以上たって、こんな事が話題にされるのかと驚かされる。以下、記事内容を抄訳
◇Takeda 医師追跡
タイ小説界のリジェンド、トム・ヤンティが先ごろ亡くなった。彼女の珠玉の名作「メナムの残照」は長らく読者を魅了し続け、数えきれないなど映画化、テレビ化されてきた。映像化はそのたびに成功をおさめ、小堀とアンスマリンは、彼らが実在した人物であるかのように、我々の記憶に蘇り続けたのである。
ところで皆さんは、この小説に二人の医師が登場することにお気づきだろうか?小説の真のファンならば覚えているだろう。Takeda 医師と、Yoshi医師である。
Takeda 医師は小堀とともにタイにやってきた同僚の青年軍医である。小堀が切られたとき治療したり、お婆さんにマラリヤ治療の注射をうった医者だ。アンスマリンがはしごから落ちた時、検査して妊娠しているいことを知らせたのも Takeda だし、物語の終わりに、空襲下のバンコクに小堀を探しに行ったのも彼である。
もう一人の医師Yoshi は、気さくで親切な年配の医師で、戦争前からタイで歯科医を営み、現地に溶け込んでいた。アンスマリンの家族とも親しく、家族に日本語を教えていた。しかし、戦争が始まり、日本軍がタイに侵攻すると、Yoshi は軍服に着かえて、今まで日本軍のために諜報活動に従事していことを明かすのである。
みなさんは、青年医師 Takeda にも、初老の医師 Yoshi にも実在のモデルがいたことはご存じだろうか?その人物は、Takedaa という日本人で、青年医師の名前を彼からとり(タイ語の綴りでは、実在するタケダのダが「ダー」と長母音となっていて、小説のタケダのダは短母音で短い「ダ」となっている)、Takedaa の境遇や年齢、性格設定は、老医師 Yoshi の方に利用したそうなのである。
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と、投稿はここで終わっていて、いささか尻切れトンボの感もあるが、代わりに、タケダ医師の名前を冠したらしい「タケダ病院」や「タケダ薬局」の古い写真を掲載している。
この Takedaa なる人がどういう人物だったのか、今度、時間のある時に調べてみるつもりだが、当時バンコクに住んで、日本軍の諜報活動に協力していた医師は、このTakedaa 医師だけでななかったようだ。
<了>
参考