不定期テレビ日記〜2025年3月 新居の棟上げ式、タイ社会の中国への傾斜・・・etc
- akiyamabkk

- 3月11日
- 読了時間: 20分
更新日:4月9日

2025年3月1日(土)
トランプの言動は、ウクライナをベトナムの位置におくとするならば、ベトナム戦争における中国の裏切りに相当するのではないか。今や、東西が逆転し、以前の東側が帝国主義陣営と言える世界となった。今さらのようだが、旧共産圏の主要国で、民主主義や人権がまともに発展した国はないのである。梅棹忠夫の文明の生態史観は正しかったなあ・・・と思わざるをえない。しかし、トランプは最悪だなあ。奴は、自分も独裁者になりたいだけではないか?だから他国の独裁者に憧れ、過大評価するのだ。
2025年3月2日(日)

新居の棟上げ式。タイ語ではクンバーンという。土地の精霊に家に住まう許しを乞う儀式で、これ以前に、家の中での飲食や寝泊まりは固く禁じられる。若い世代はそんなことを信じていないが、こういう儀式を差配するのは年寄りだから、うちの場合は、カミさんの母親の指示に従うしかない。
村の面々を呼んで、夕方から飯を振る舞い酒を飲ませカラオケを衣歌わせ、翌日の朝にも食事を出し、僧侶を9人よんでお経をあげてもらう。僧侶にも、食事を出し、住職に、祝詞というか、お守りの紋様を窓ガラスに書いてもらう。謝礼として、お車代住職以外に一人300バーツ、住職には3000バーツ包んだ。
これ以外に、飲食代やカラオケ、門前をライトアップしてくれるクルーへのお礼など、もろもろ4万バーツくらいかかったという。それだけあれば応接セットが買えるわけで、馬鹿げているが、村の風習だから仕方ない。一度は、親戚の婆さん連中(とうちの婆さん )が「モーラムの劇団を呼ぼう」とまで盛り上がっていたのだから、私の奥さんは、よくこれだけで抑えたと言えるだろう。
イサーンが貧しいのは、この「見栄のための浪費」と「お寺への寄進」が、一つの要因かと思うし、この二つは密接に結びついてもいるのだ。要するに、「見栄を張るために」「お寺に寄進する」のである。確かタイの左翼文学で「蛇」という寺と僧侶を批判した短編があったと思うが、ちょっと読みたくなった。まあ、タイのお寺というのは、マイナスの面だけではないのだが・・・。
2025年3月3日(月)
中国には一定の警戒感があったミャンマー国軍も「背に腹は変えられぬ」ということか。
タイなどは元々、中国系が支配的な国だが、このところ、最近この傾向が一層顕著になってきた。なんせ、政治、経済、軍事、文化、芸術、メディア、環境や人権NGOまで、全ての社会部門のトップが中国系なのだから、そうなるのも自然の成り行きだろう。孫の通っている幼稚園は、海軍系の教育施設だが、中国正月の日に、赤い服を着て園児を登校させたのには驚いた。テレビ番組の司会者なども、こぞって赤い服を着て出演していて、こちらは、彼らの出自が、ほとんどそうなのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
以前にはあった大陸中国、中国共産党への警戒感も最近はほとんど姿を消した。先日、タイ軍部とゲリラ闘争を戦った左翼学生運動家のインタビューを見た。「昔は、中国共産党を脅威だと煽っていたが、今や、世界第2位の経済大国だ。我々が正しかったことが証明された」と手ばなしの礼賛ぶりで、独裁政治の内実への批判が皆無であることに愕然とした。タイの旧左翼にはこういう人が多いのではないか?自分は、こういう人たちのことを「縁故左翼」と呼ぶことにしているが、彼らが「革命」に勝利していたら、タイがどういう国になっていたか、だいたい想像がつくのである。
2025年3月4日(火)
新居での最初の托鉢。本堂の建立に大貢献した住職が還俗し、村の寺には僧侶が4人しかいなくなった。全て高齢者である。この前を歩いているお坊さんが、副住職だった人で、「住職は荷が重い」と固辞していたが、他になりてがいないので「暫定住職として」という条件付きで、渋々引き受けたという。
前の家を壊す前に「記念に」と思って、同じ位置の固定カメラで托鉢を撮影したが、この時は、托鉢に来たお坊さんが4人いた。まだ雨安居明け前で、その期間だけ出家する若い僧侶がいたのである。タイのお寺は、雨安居期間に坊主が増え、あければ減るという増減を繰り返すのが常なのだ。
その時撮影した若い僧侶は、覚醒剤の常習を改めるために出家したのだが、雨安居明けに還俗して、また中毒者に逆戻りしてしまった。予想されたことだが、若者の親を知っているから心中察して余りある。覚醒剤に溺れる子供を藁にもすがる思いで出家させ、薬が抜けたと喜んでいたら、還俗するやいなや、また薬に戻っていく。
今のタイでは珍しくもない話だが、可愛がって育てた子供が、モンスターになっていくのを見る親の気持ちを考えると、いたたまれない。今のタイでは、子供が中毒者にならなければ、「とりあえず親はラッキー」ということになるだろう。そういう意味では、自分はラッキーだった。
2025年3月5日(水)
Ex-communists are the last refuges of the scoundrel?

2025年3月8日(土)
「慰安婦は売春婦」発言 韓国元教授無罪確定の衝撃 「反日歴史観」正常化へ議論活発化(産經新聞)
現大統領が釈放された事と合わせて、韓国の社会も徐々に変わりつつあるな、という印象。実はタイなどもそうなのだが、司法が変わる事が、政治や社会が正常化するための重要な要素なのだ。タイはその意味でちょっと絶望的なのだが・・・
2025年3月9日(日)
DAM も変わったなあ。最近は活動しているのだろうか。この曲が7年前。5年前を最後に新曲を出してないようだが。以下、DAMの公式YouTube。
この "Born Here" が18年前。
2025年3月10日(月)
村のモーラムコンサートより
この日、村人待望のモーラムコンサートが開催された。入場料120バーツ、隣接する空き地に出店を出す場所代が400バーツ。店は100軒ほど出ていたから4万バーツ。観客は多く見積もって1000人くらいだから10万バーツ。種まき前の空き地を使う会場のキャパからして、どう見ても採算が取れないイベントなのだが、村人は、とりあえず「面白いから」やってみたのだろうという。「マネロンのためにやったのだ」という穿った見方もあるけれども、サヌーク(面白いから)、採算を度外視してやるというのは、タイ人、というかイサーン人の気質としてあり得ない話ではない。中国系のタイ人は、決してこういうことをやらないと思う。写真は以下で。
2025年3月11日(火)
Z世代の音楽プロデューサーが初めて聞くクイーンの「ボヘミアンラブソティ」だって。最近の音楽プロデューサーは、クイーンの代表曲を聞かないでもなれるのか。少し前に、フレディ・マーキュリーの伝記映画が作られ、主演男優がアカデミー賞までとっているのだから、さすがにそれはないだろう。(映画のクライマックスはライブエイドでのこの歌の熱唱である)
もちろん、この人も、クイーンやフレディの盛名については知っているが、曲を聞いたことはなかった、という体裁をとっている。でも、やはり、初めて聞いたことか、音楽プロデューサーであることか、少なくとも、どちらかが嘘じゃないかと思う。
前者だとすれば、最初に聞いたことにして、オールド音楽ファンの関心をそそろうとしているのだ。(原則として最初に聞く曲にリアクションするのが、リアクションチューバーの常道なのである)よくある手口で、ボーカルコーチがカーペンターズの曲を初めて聞いた、なんて設定も結構ある。これは、さすがに、ちょっとありえないだろう。
黒人のYouTuberがカーペンターズの歌を聞いて涙する、なんてのも、ウケ狙いの意識的な選曲で、ステレオタイプの逆を狙ったのだろうが、結局、類似のビデオがたくさん出てきて、その趣向が、却って、ステレオタイプを感じさせる結果になっている。
この投稿に話しを戻すと、イタリア語オペラ部分があるのは、このバージョンだけだと記憶するから、「このバージョンは初めて聞いた」ということかも知れない。(ライブエイドでは、確か、冒頭のバラードパートしか歌っていない)流し見したので、どこかで、それを断っている可能性はある。
あるいは、ネットの普及で、世界のいろいろな音楽を簡単に聞けるようになったから、膨大な音楽情報の海の中で、専門家といえども、エアポケットのように抜け落ちる「有名どころ」の音楽が出てくるのかもしれない。とまあ、色々考えたが、しかし、まあ、結局、「世代の違い」、これに尽きるんだろうな。
日本で言えば、カレン・カーペンターは、ちあきなおみ、フレディー・マーキューリーは尾崎紀世彦といったところだろうから、名前は聞いたことがあっても、歌を聞いたことがない音楽プロデューサーがいてもおかしくはないのかも。ちなみに、さっきオザキキヨヒコと打つとちゃんと変換されて出てこなかった。この昭和の名歌手はご存命だが、AI的にはそのくらいの存在になっているわけだ。
2025年3月13日(木)
このダンスビデオは、当時、流行っていたファレル・ウィリアムズの Happy にのせて、福島の人たちの復興への前向きな意思を示してくれた良いビデオだったが、この投稿のような誹謗中傷に晒されて、有志たちはビデオを削除することになった。
この中傷ビデオは10年前のものだが、事故直後は、ひどい罵詈雑言が、ダンスビデオの出演者たちに投げつけられていたのだ。ある種の人たちにとっては、自分たちの正しさを証明するために、福島が「二度と人の住めない土地」になることが必要だったのである。だから、自分を奮い立たせて復興に取り組む姿勢を見せる人たちが、小憎らしかったのだ。事故から14年が経過して、どちらが正しかったかは明らかだろう。
当時、「日本にはもう住めないから、フィリピンに移住する」と公言していた、現在、若い世代から一番の支持を受けているという政党代表の事なども思い出した。自分は、彼のそういう発言を覚えてるから、この政党代表を絶対に信用しない。
2025年3月14日(金)
これは凡作。残念。聞く歌全てがBanger というADO神話が乱れたという印象。アクセス数もADOの歌にしては伸びておらず、4日間で60万ちょっと。CMソングというのは、商品イメージが神であり、曲想も歌詞も、その制約を受けて、最大公約数的な受けを狙うことになる。 だいいち、ADOの歌声は爽やかな朝に似合わないのである。海外YouTuberの反応もイマイチだから、海外ツアーを前に、彼らを魅了していたADOの魔法が解けないか心配。今のところは、惰性で、曖昧に誉めているが、あんまりノレていないことが雰囲気でわかるのである。イラストも良くない、というか、この曖昧な表情、何を狙っているのかな?
2025年3月15日(土)
จา
家の前に二人の坊さんが立って現金を乞うた。義母は慌てて出ていって一人に20バーツづつを渡していた。亡くなった義父は、こういう時に5バーツ渡していたそうだ。
小乗仏教の戒律では、僧侶はお金に触ることを禁じられているので、これは戒律違反だろう。物理的に触らなくても所持していれば同じことだ。だから、寺には在家の会計責任者が別にいて、寺の経理を担当する。このことは、お布施の横領、私物化などの問題を引き起こす原因になっているが、僧侶が経理を担当してもリスクは同じかもしれない。彼らが、俗人より、必ずしも倫理的に高くない、ということは、毎日のように報道される、僧にまつわるスキャンダルが証明している。いや、むしろ、最近は、何か問題を抱えたがゆえに出家する人が多いから、平均的な倫理観のレベルは、一般社会より「かなり落ちる」というのが実情だろう。
こういう僧の物乞い行為をタイ社会はどう受け止めているのだろうと思い、掲示板サイトPantipを訪ねてみた。以下が自分のFBサイトでの、その結果報告。最初にスレッドの主が、「僧から現金のお布施を求められて困惑した。結局、お金を渡さなかったが後味が悪い、皆さんならどう対応します?」と尋ねている。
จาก Pantip
”มีพระมาขอเงินแต่ผมไม่ให้ พอกลับมาถึงบ้านรู้สึกไม่สบายใจเลยครับ”
คนส่วนใหญ่ตอบว่าไม่ควรให้ หนึ่งในความคิดเห็นกล่าวว่า:
”ถ้าคุณให้สิ จะบาป เพราะช่วยส่งเสริมให้เกิดมารในพุทธศาสนา ปัจจุบันนี้มีคนขี้เกียจทำงานก็อาศัยซุกร่างในผ้าเหลืองให้คนศรัทธาทำบุญ เคยเจอค่ะเดินมา บอกโยมขอเงิน เรามองหน้าแต่ไม่ให้ นี่มันขอทานชัดๆ ไม่ต้องรู้สึกผิดนะ/อีกกรณีเจอผู้หญิงแต่งกายมอมแมมยืนค้นถังขยะ ข้างๆถังมีอาหารเหลือๆค้างในกล่องโฟม เธอหยิบมา เราเห็นก็สงสารเลยยื่นเงินให้ เธอสั่นหน้าแล้วเดินจากไป เคสไหนจะน่าสงสารกว่ากัน”
ผมคิดว่าให้ก็ได้ถ้ารู้สึกน่าสงสาร โดยไม่ได้มองว่าเป็นพระ แต่เหมือนเด็กขอทานมากกว่า
全ての回答が「お金を渡すべきではない」というもので、例文に引いたある回答者などは「お金を渡せば、仏教に悪い慣わしを広めることになるから、むしろ罪になる」とまで言っている。また、「ほとんどが、僧を装った詐欺行為だから」、施しをするなら本当に困っている人にあげるべきだと示唆していた。
自分もほぼ同じ意見で、かわいそうだと思うならばお金をあげてもいいが、僧へのタンブンだと思わずに、コジキへの施しだと思ってあげれば良いと思う。しかし、仮に、僧を装った意図的、組織的な詐欺行為だとしたら、そんなものに少額でも金をあげるのは業腹なので、もう少し、調べてみる必要があるだろう。
2025年3月16日(日)
バンコクでやらないかな。これなら手軽に行けそう。
「17歳最後の日にリリースされた「うっせぇわ」が記録的大ヒットし、音楽業界に衝撃を走らせた鮮烈なデビューを果たし、数々の偉業を成し遂げたAdoが今度はスクリーンに登場! 2024年東京・国立競技場で行われた〈Ado SPECIAL LIVE 2024心臓〉の劇場公開が決定。さらに自身2度目となる世界ツアー〈Ado WORLD TOUR 2025 Hibana〉を待ちわびるファンのため、世界の劇場でも上映される世界公開も決まった。 伝説のライブ‟心臓“の鼓動が世界に響くー 劇場版にリマスタリングされた≪完全音響≫と大スクリーンに映し出される圧巻のパフォーマンスが観る者をライブ会場へいざなう。‟心臓“の臨場感があなたを包み込む極上体験[立体音響技術Dolby Atmos]での上映も決定。新たな‟心臓”がスクリーンから放出され全身で浴びる至高の140分をぜひ劇場で。」
以上、YouTube概要欄より。
「リマスターリングした完全音響」といっても、オートチューンなどは使ってないようで、この予告を見る限りでは、音程が微妙だったり、涙声になったりしたところ(「桜日和とタイムマシーンでの初音ミクとの共演)なども、そのまま使っている。
劇場公開するために何Kくらいで撮っているのだろうか。
2025年3月18日(火)
産経新聞より

「・・・国防総省は多様性・公平性・包括性(DEI)重視を想起させる写真を削除する取り組みを進めている。米先住民の海兵隊員が写っていたため、該当すると認定したとみられる。
国防総省は、広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイを削除候補に指定。男性の同性愛者を指す「ゲイ」が名称に含まれるため誤認した可能性があると既に報じられている。DEI重視政策を取りやめる中、戦争の重要な記録が消去される動きが再び表面化した。」
頭おかしい?人間の卑しい部分、本当なら社会として克服すべき劣情に訴えて、熱狂的な支持を得ようとするのはナチスの手法ではないか?
2025年3月20日(木)
この話は一種のタブーなのかもしれないが、もう一面の、コインの裏側の事実ではないか?ハマスが民間人を人間の盾として使っていたとしても、イスラエルの爆撃が正当化できるわけではないが・・・。我々とハマスとはプライオリティが違うのだからそうなるわけだが、自分はイスラエルの空爆も、ある種のイスラミストのそういう価値観の倒錯も支持しない。(彼らの信仰では、民間人の犠牲者は「殉教者」にあたるのだろうか?)
この人は「テロリスト」という言葉を金科玉条のように使っているが、シオニストだって、ベトミンだって、建国、独立運動の初期は、テロリストと呼ばれていたわけだ。ミャンマーのPDFだって、やっていることの外形だけ見れば、テロリストである。(それにしても、ハマスのコンサート会場襲撃は酷かったのだが・・・。「民間人だが政府の協力者を狙った」という理由づけさえない、無差別襲撃だったのだ)
しかし、一方で、この人の頭のいいところは、最終的には、「事実上はハマスの声明なのに、それを検証抜きで報道するのはおかしい」というところに、結論を持っていくところで、この点は、原則的な反論が難しいのである。
2025年3月21日(金)
イラワジの記事。これはやはりミャンマーを拠点とする特殊詐欺を根絶やしにするのは、難しいのではないか?また、どこかで、息を吹き返しそうだ。
人身売買の側面が強調されるが、中国側は、国内に移送された「人身売買の犠牲者」たちを、手錠をかけて連行し、見せしめにしていたし、タイの警察幹部も、「詐欺に関与していた外国人は、99パーセントは、自分が何をするか知った上で来ていた」と顔出しのインタビューで答えている。原則、全ての外国人を「犠牲者」として扱ったのは、送還手続きを簡単にするためだったと思われる。要するに、奴隷労働ではなく、ある種の経済合理性の上に成り立っている違法ビジネスなのだ。
2025年3月22日(土)
ロッタン計量クリアー! 見出しは釣り。あざとすぎるので、まずタネアカシをしておく。
รถถังน้ำหนัก OK แล้ว! ผมเชียร์ทั้งสองนักมวย—Takeru นักชกชาวญี่ปุ่นที่มีจิตใจแข็งแกร่ง และรถถังที่เก่งไม่แพ้กัน หรืออาจจะเก่งกว่าด้วยซ้ำ! ไม่ใช่แค่เพราะว่าเขาเป็นนักมวยที่เก่ง แต่ก่อนหน้านี้เราเคยสร้างสารคดีเกี่ยวกับภรรยาของเขาก่อนที่ไอด้าจะแต่งงานกับเขา อย่างไรก็ตาม ถ้าพูดตรงๆ ผมคาดว่ารถถังจะชนะคะแนน
予想は、ロッタンの判定勝ち。ロッタンはKO勝ちが少ないが、KOされるイメージもない。ロッタンが武尊より、優勢を印象付けるうまさで勝ると思うので、ロッタンの判定勝ちだと思う。
タイの国立フィルムアーカイブで、黒澤明の「夢」が上映される。「映画評論家が選ぶ大スクリーンで見たい世界の映画10選」という企画が進行中で、その中の一作なのだと言う。以下は、映画の紹介文で披露されたエピソード。
映画の共同プロデューサーだったフランシス・コッポラが、黒澤に「ゴッホの役は誰がいいですか?」と聞いたら、黒澤は「マーチン・スコセッシしかいないと思う」と答えた。その後、コッポラがスコセッシに打診したら、スコセッシは「これは断れないな。黒澤からの依頼なんだから」と言い、「グッドフェローズ」の制作を一旦中断して、映画の主人公がゴッホと対話するごく短いシーンを撮影するためにロケ地に向かったのだという。
「さすが黒澤!」と唸らされる逸話ではあるが、紹介文で、コッポラやスコセッシが引き合いに出されるということは、映画ファンの間でも、黒澤の知名度は少し落ちているのかもしれない。
自分は、「夢」の中で、このストーリーが一番好きだ。絵が好きな人で、「この絵の中に入って行きたい」と思ったことのない人はいないだろう。そういう、我々の持つ単純素朴な願望を映像にしてくれたことが、嬉しかったのである。「ひな祭り」のエピソードなどもそうで、あれは、「オモチャのチャチャチャ」の和風バージョンなのである。復員兵のエピソードなどもあったが、全体として、巨匠黒澤が子供に返って、自分の見たかった映像を自分で撮っている印象だった。だから「夢」なのだ。
スコセッシの話に戻ると、スコセッシが遠藤周作の「沈黙」を初めて読んだのは、「夢」のロケ地に向かう車中だったと記憶する。確か、映画宣伝のインタビューでスコセッシがそう語っていた。「沈黙」についてはあらゆる紹介記事を読み、You Tubeでスコセッシのインタビューをいくつも見たのに、結局、見に行かなかった。情報を詰め込みすぎて、もう見たような気になってしまったのだ。遠藤周作の原作も読んでいない。この前、フジテレビの謝罪会見に遠藤周作の息子(龍之介!)が出ていたので、このことを思い出して、いつか「沈黙」は読んで、見るぞ、と思った。見てから読んでもいいけど。
ではでは
2025年3月23日(日)
ロッタン、武尊に1ラウンドKO勝ち。野杁正明はタワンチャーイを3回TKO。試合内容を見ていると番狂せとも思えなかった。
รถถัง KO Takeru เลย ดีนะที่ One Championship ดูได้ฟรีทาง YouTube เสียใจด้วยกับ Takeru รู้สึกว่าเขาตื่นเต้นเกินไป Noiri ทำอัปเซ็ตครั้งใหญ่ เมียบอกว่า ตะวันฉายมีแฟนสวยเซ็กซี่เกินไป 5555 ไอด้าก็สวยนะ แต่ตอนนี้กำลังตั้งครรภ์ อย่างไงก็ตาม ขอแสดงความยินดีกับสองครอบครัว Noiri กับ รถถัง
2025年3月24日(月)
タイメディアの「浄霊」(タイ語でヨーレー、โยเร)に関するニュースクリップ。ヨーレーとは日本の「世界救世教」「真光」系列の新興宗教団体である。ニュースチャンネルPPTVの記者が、20年以上の信者歴を持つおばあさんにインビューして、「入信の誓い」と東京の駅前でよく見るあの「手かざし」を実演してもらっている。
親戚で一人ハマっている女性がいるので、洗脳されないようにフェイスブックで情報提供。(自分の「FB友達」の9割はカミさんの親戚である)この「ハマっている人」は元教師で、タンボン委員会の副委員長のお姉さんでもあるので、かなり、説得力、勧誘力のある人なのである。
すでに何度か施設に連れて行かれているおばさんがいるが、文盲無学の素朴な人だからちょっと心配。今はまだ、親戚付き合い、観光気分で出掛けている段階だと思うので、家族の目にとまって警戒感を持ってくれることもあるかもしれない。以下そのFB投稿。少し、ChatGPTの添削が入っている。
แปลกนะ ที่ญี่ปุ่นมักเห็นคนแบบนี้อยู่หน้าสถานีรถไฟ พวกเขาขอให้ได้ชำระล้างคนอื่นที่ออกมาตลอดทั้งวัน พวกเราส่วนใหญ่รู้สึกว่าสงสารคนเหล่านี้ที่หลงอยู่ในลัทธิประหลาด
ChatGPTによる日本語訳
不思議なことに、日本ではこういう人を時々駅前で見かける。彼らは一日中駅前に現れる人々を『浄化させてください』と頼んでいる。私たちのほとんどは、こんな奇妙な宗教にハマってしまった彼らを気の毒に思う。
意味はわかると思うが、下が私の添削。
ヘンでしょ。日本でこういう人を時々駅前で見かけるんだが、一日中、駅から出てくる人に「あなたを浄化させてください」って声をかけているんだよね。殆どの通行人が、こういう人達を「妙な宗教にハマってしまってかわいそー」という目で見てる。
2025年3月26日(水)
戦争終結80周年が近づいたので再投稿。戦前の日本の天皇制は、今の北朝鮮ですね。ロシアの軍国主義、侵略は、もっと狡猾な形を取るようになっている。アメリカのウクライナ戦争(ロシアの侵略戦争)終結への関与をデルタ会談に例えた人がいたが、むしろ「ミュンヘンモーメント」ではないか?しかし、終戦直後の価値観とは、悪玉、善玉が見事に入れ替わっているのに驚く。前の戦争を真摯に反省し、前に進んだのは、「社会主義陣営」ではなく、「枢軸国」の側だったのだと思いますね。
2025年3月29日(土)
防衛研究所創立 60 周年記念
「戦史セミナー」 ベトナム戦争の再考
-休戦 40 年の視点から-
10年前ベトナム戦争終結40周年に開かれたセミナー。私などには、ちょっと偶像破壊的な内容だが、右派の論客にとっては、当時から、これが当たり前の議論だったのかもしれない。セミナーでは「裏切られた革命」(ベトナム版です)を翻訳した産経新聞の元記者が基調講演を務めている。(友田さんという方)また、ベトナム国内でも、戦争を情緒的にプロパガンダのラインに沿って振り返るだけではなく、批判的に再評価する動きが出てきているようだ。例えばこういうところ・・・
「また、ベトナム戦争の生んだ最大の「神話」はゲリラ戦の有効性かと思いますが、これはベ トナム戦争における現実の推移とはかけ離れたものであり、本質的なゲリラ戦はむしろベトナ ム戦争以後に多発し、これが紛争解決と戦後復興を更に困難にしています。
加えて、余り着目されてきませんでしたが、ベトナム労働党・共産党による南ベトナム・ラ オス・カンボジアにおける政治・軍事等諸制度形成は効果的であり、ベトナムの経験と成功は、 先進国による経済援助が不在でも戦後復興に必要な政治秩序を作り出し得る可能性を示唆して います。」
「第二に、ベトナムにおける戦史編纂は、当初党中央の一元的指導の正しさを強調するもので したが、水面下では戦争終結直後よりベトナム戦争を最前線で戦った将軍級指導者らは、こう した見解を批判し、戦争の過程がより複雑で、時として党中央の指導は不適切なものであった ことを公表しようと試み続けてきました。80 年代まではこれらの見解の相違は余り表面化しませんでしたが、90 年代以降、特に 21 世 紀に入ってからは、戦史編纂・回想録等において、党指導部における見解の相違や上級指導部 に対する様々な批判がなされることも許されるようになっていきました。また、兵士や下級幹 部による日記がベストセラーになる等、個人としての経験から戦争を語るという手法が盛んに なってきています。戦史編纂・回想における多元化・個人化という「民主化」は 70 年代に始ま り現在まで深化し続けています。」
また、「ベトコン神話」については、以下のような記述があり、もっと具体的に知りたいと思った。
「議長:松岡先生が指摘されたように、アメリカが「戦闘には勝ったが、戦争に敗れた」という 事実は最後まで残ります。野口先生はベトコンの実態は支離滅裂でモラルもなかったことが 明らかになってきたと発表されましたが、現時点から見てなぜアメリカは戦争に負けたかと いう点であります。通説としては「背後からの一突き」と保守側が言う国内の反戦運動、ゲ リラ戦がアメリカの近代兵器を凌駕した点などが指摘されています。
松岡氏:ベトナムを舞台とした政治戦争であったはずが、アメリカは軍事的側面だけに目を向 けていて政治的な建設の部分、政府建設、軍隊の建設、経済構造の建設をなおざりにしたと いう点が、非常に重要なアメリカの敗因ではないかと思います。
野口氏:1973 年にアメリカが停戦協定を調印した段階で北ベトナムはアメリカには勝てていな かった。あくまでも北ベトナムが勝利したのは、和平協定調印以後に南ベトナムに対してで あると考えるしかありません。潤沢なアメリカの援助に慣れてしまった南ベトナムにとって、 73 年以降の物質的優位は見かけとは異なってほぼ北ベトナムと均衡していたと考えるべき かと思います。」
ベトナム戦争終結50周年番組が作られるとしたら、情緒的な歴史懐古ではなく、こういう批判に正面から答える物が見たいと思う。「ベトナム戦争」自体が、そこまで深掘りして見せるだけの訴求力を失っているのかもしれないが、社会主義政権が軒並み「単なる権威主義政権」となってしまった今、最後に残された偶像が「ベトナム戦争」なのではないかとも思うのだ。
しかし、こういうベトナムを特別視する意識も、もう過去のものなのかもしれんな。自分がずれているだけで。
ではでは




