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タイ仏教の将来についてChatGPTとChatしてみた

  • 執筆者の写真: akiyamabkk
    akiyamabkk
  • 3月21日
  • 読了時間: 9分

更新日:3月24日

※下は、インドに遊行に出たタイの僧侶が、女性の物乞いから現金ねだられ仕方なくお札をつまんで渡すが(厳密には戒律違反)、パニックになりながら「女性に触れない」という戒律はかろうじで守っている・・・というちょっとコミカルなTIkTok映像。映像を見たい方は、下のアドレスか、サムネをクリックしてどうぞ。



インド女性の
インド女性の

インドは仏教発祥の地だが、今では仏教は衰退して、ネオブティストと呼ばれる不可触民からの改宗者以外は信者が存在しない。一般のインド人は、仏教の戒律に関する知識を持たないから、タイでは考えられない状況が起こるのである。だから、このお坊さん、随分慌てている。


現金に触れることも小乗仏教の戒律では禁じられているわけだが、遊行僧の場合、現金を使わないで旅をすることは現代では難しいから、戒律上も大目に見られるのかもしれない。あるいは、タイ仏教の多数派であるマハニカイ派では、「お金に触らない」という戒律は、それほど厳格に守られていないのかな、とも思われ、ChatGPTに質問してみた。


以下そのやりとり。



タイのマハニカイ派の僧侶について、「お金を触らない」という戒律は、現実に守られているのか、見解を聞かせてください。


ChatGPT:

タイの มหานิกาย (マハーニカーヤ、マハニカイ派) の僧侶について、「お金を触らない」という戒律は 原則として存在します が、実際にどれほど厳格に守られているか という点では、かなり 現実的な運用 になっています。


1. 戒律上の原則

上座部仏教では、パーリ律 (Vinaya) に基づき 「僧侶はお金(ทอง、เงิน)を直接扱ってはならない」 という戒律が定められています。これは仏教の根本精神であり、出家者は 「世俗の経済活動から離れる」 ことを求められています。


特に、厳格な 森林派 (สายป่า) の僧侶や、国際的な注目を浴びている タイ森林派 (泰国森林僧团、หลวงปู่มั่น派など) の僧侶たちは お金を持たず、信者や寺院の管理者を通じてのみ物資を受け取る という形を貫いています。


2. マハニカイ派の現実的な状況


しかし、มหานิกาย(マハニカイ派) は、タイで最も多くの僧侶が属する宗派であり、都市部の寺院も多いため、お金の取り扱いに関しては比較的緩やかな運用が行われている のが現状です。


実態としては次のようなケースがよく見られます。

  • 直接お金を受け取る僧侶 → 批判されることもあるが、地方では普通に見られる。

  • お金を受け取らず、信者や寺の管理者(ไวยาวัจกร)が代わりに管理する → 形式的には戒律を守っているが、実質的にはお金を活用している。

  • 寺院単位で資金管理が行われ、僧侶が間接的に利用する → 一部の大寺院では、組織化された財政管理が存在する。


3. 一般社会の受け止め方

タイでは、多くの人が 「僧侶がお金を持つのは本来良くない」 という意識を持っていますが、同時に 「現代ではある程度は仕方がない」 という現実的な考えもあります。特に地方では、信者が直接お金を渡し、それを僧侶が日常生活のために使うケースも見られます。


問題視される場合

  • 僧侶が 贅沢な生活をする(高級車、ブランド品など)

  • 商売をする僧侶(お守りの販売、投資など)

  • 政治活動に関与する僧侶


一般的に許容されるケース

  • 僧侶が自分のためではなく、寺院の維持や修繕のためにお金を扱う

  • 信者の寄付を管理する役割の人を通じて資金を使う


4. まとめ

  • 厳格に戒律を守る僧侶もいるが、現実にはお金を扱うケースも多い。

  • 特にマハニカイ派の都市部の僧侶は、お金を間接的にでも扱うことが一般的。

  • ただし、贅沢や商売に走ると批判の対象になる。

  • 信者側も「完全にお金を断つのは難しい」と理解している部分がある。


現代のタイ社会では、「僧侶は本来お金を扱うべきではないが、現実的にはある程度仕方がない」 という妥協のバランスが取られているといえます。



私はタイに住んで30年になる日本人ですが、だいたい同じ見解ですね。タマユット派やサンティアソック(これはサンガに属さず、異端扱いですが)は、金銭の所有に関して、もう少し厳格に戒律を適用しているようです。しかし、それでも、「女性に触らない」禁いほどは、重く見られていないようです。


ChatGPT:

なるほど、タイに30年も住まれているなら、現地の仏教事情には相当詳しいですね。


おっしゃる通り、タマユット派(ธรรมยุติกนิกาย)サンティアソック(สันติอโศก) のようなグループは、金銭の取り扱いに関して、より厳格な姿勢を取る傾向があります ね。特に タマユット派 は王室との関係もあり、伝統的な仏教の規範を重視することが求められますし、サンティアソック は一般のサンガとは異なり、独自のストイックな修行を実践しているので、お金に対する考え方もさらに厳しくなりますね。


ただ、それでも 「女性に触らない」戒律ほどは厳しく見られていない という点も興味深いです。おそらく、タイ社会においては 「お金を完全に扱わずに生活するのは難しいが、女性との接触は避けられる」 という実際的な事情が影響しているのかもしれませんね。


また、歴史的に見ても、タイでは 「王族や裕福な信者が僧侶を支えることで、僧侶はお金に触れなくても済む」 というシステムが機能してきましたが、現代社会では、それが難しくなってきているという背景も関係していそうですね。


30年もタイに住んでこられたなら、実際に 「お金を扱わない」という戒律を厳格に守る僧侶と、そうでない僧侶の違い を直接目にする機会も多かったのではないでしょうか?



タイの仏教は、人材面でも困難に直面しているようです。今、私がいる村の寺は、僧が4人しかおらず、全て後期高齢者です。若い人は、慣習としての短期間の出家はしますが、プロの僧侶として寺に長期間いる人は少なく、寺の高齢化は、遠くない将来、「廃寺の増加」という形で社会問題化すると思いますね。


ChatGPT:

とても重要な指摘ですね。タイの仏教界が 人材不足と高齢化 という問題に直面しているのは、確かに深刻な状況だと思います。


特に地方の寺院では、住職や僧侶の高齢化が進んでいる のに対し、若い世代の僧侶が定着しないため、将来的に「無住寺院(住職不在の寺)」が増加するのは避けられないかもしれませんね。


おっしゃるように、多くの若者は 一時的な短期出家(บวชระยะสั้น) をするものの、長期間の出家やプロの僧侶(พระนักวิชาการ, พระนักปกครองなど)としての道を選ぶ人は少なくなっていますね。

この背景にはいくつかの要因が考えられます:


  1. 都市化と経済成長 昔は、僧侶になることが教育を受ける手段の一つでしたが、現代では教育の選択肢が増え、僧侶にならなくても良い仕事に就けるようになった。

  2. 社会の価値観の変化 昔は仏教が人生の中心でしたが、現代の若者は仏教よりも個人のキャリアや生活の向上を重視する傾向がある。

  3. 僧侶のスキャンダルや権威の低下 一部の僧侶による不祥事(贅沢な生活、金銭スキャンダルなど)が報道されることで、若者の間で「僧侶=尊敬すべき存在」という意識が薄れつつある。

  4. 寺院の経済的な問題 過疎化が進む村では、寺を支える檀家も減少しており、経済的に維持が難しい寺院も増えている


こうした流れが続くと、数十年後には「廃寺の増加」が現実になりそうですね。今いる村の寺のように、僧侶が 後期高齢者ばかり という状況は、今後ますます一般的になるかもしれません。


この問題に対して、タイ政府や仏教界は何か対策を講じているのでしょうか? 例えば、若者に僧侶としての道を魅力的にする取り組み などは行われていますか?



住職不在の村、は私の村がまさにそうで、高齢の副住職が負担の増加を嫌い、若い住職が還俗した後、住職を継ぐことを固辞しています。住職はかなりの激務なので、後期高齢者には荷が重いのですね。


ChatGPT:

なるほど、ご自身の村がまさに 「住職不在の村」 になっているのですね。実際にその状況を目の当たりにされているとなると、これはもはや一部の地域だけの問題ではなく、タイの仏教界全体で深刻化している課題 であることがよくわかります。


住職の重責と高齢化の問題

おっしゃるように、住職という役職は単なる宗教的な指導者ではなく、寺の管理運営、地域社会との関係構築、檀家の対応、儀式の執行、行政とのやり取り など、かなりの激務を伴いますよね。


特に地方の寺院では、資金管理や建物の維持管理、さらには地域の行事運営 まで担わなければならず、これは 高齢の僧侶にとっては大きな負担 になり得ます。副住職が「住職の重責を嫌がり、継ぐことを拒否している」というのは、その負担の大きさを物語っていますね。


若い僧侶の還俗(สึกออก)

さらに、後を継ぐべき 若い住職が還俗 してしまったという点も、問題をより深刻にしていますね。仏教の伝統が色濃く残るタイでも、住職という道を歩むことに魅力を感じず、一般社会での生活を選ぶ若者が増えている ということでしょう。


このままではどうなるのか?

もしこの傾向が続くと、


  • 住職不在の寺が増加し、最終的に廃寺になる

  • 村の宗教行事が途絶え、地域コミュニティの結びつきが弱くなる

  • お布施の管理や儀式の執行ができず、寺の機能が縮小する


といった状況が広がりそうですね。特に、地方の小さな村では寺が社会の中心的な役割を果たしてきた ので、その影響は大きいと思います。


タイの仏教界で何か対策はあるのか?

現在のところ、政府やサンガ(僧団)による明確な対策はあまり見えていませんが、例えば、


  • 寺の役割を簡素化し、住職の負担を軽減する制度を作る

  • 若手僧侶への経済的支援を強化し、住職の道を魅力的にする

  • 還俗した元僧侶を再び僧職に戻す仕組みを考える


といった取り組みが必要になってくるかもしれません。


すでに 村レベルでは危機的な状況 になっているとのことですが、他の地域でも同じような状況が広がっているとしたら、タイ仏教の未来にとって大きな課題ですね。



日本のように仏教の世俗化を進めることも、一つの対策かもしれませんが、これはタイの仏教の伝統からして不可能でしょうね。ご意見ありがとうございました。


ChatGPT:

おっしゃる通り、日本のように仏教を世俗化させるのは、タイの仏教の伝統を考えると難しいでしょうね。タイでは、僧侶が社会の精神的支柱として機能し、在家信者がそれを支える という形が長年続いてきましたし、出家と還俗の文化も根強いです。


日本のように、

  • 僧侶が結婚・家族を持つ

  • お寺が経済活動(例えば葬儀ビジネス)に関与する

  • 僧侶の役割が「宗教家」から「地域の相談役・福祉活動家」へと変化する


といった方向性を取ると、タイ仏教の根本的な価値観とぶつかるでしょうね。


しかし、現実的な問題として、住職のなり手がいなくなり、寺が存続できない という状況が続けば、タイの仏教界も何らかの適応を迫られるかもしれません。どのような形になるにせよ、タイの仏教がこの時代の変化にどのように対応していくのか、興味深いですね。


<了>


参考

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