top of page

私の好きな洋画100

  • 執筆者の写真: akiyamabkk
    akiyamabkk
  • 2023年3月15日
  • 読了時間: 28分

更新日:2023年3月17日

私の好きな洋画 その一



以前作ったものに少し手を加えました。アプリはiMOVIE を使用。


親戚が田舎で洋画館をやっていたので、子供の頃、木戸銭を払わずに見た映画が結構あります。この中では、「大脱走」「ロッキー」「アラビアのロレンス」あたりがそうじゃないかと。(「大脱走」「アラビアのロレンス」は制作年を見ると年齢的に合わないが、リバイバル上映だったのか)


「タクシードライバー」や「ゴッドファーザー」は、教育上悪いという理由で見せてもらえなかったと思う。もちろんエマニエル夫人も(笑)親戚の映画館というのは、そういう不自由な面もありますな。


とりあえずキネマ旬報あたりを手がかりに、ぼちぼちと100選んでいこうと思います。ベスト100とかいうのではなく、あくまで私が好きな映画。例えば、ハードウェイなどは、ほとんどの方にとって、なんのことはないB級アクションでしょうが、いくつか理由があって、私がこの映画が好きなのですな。


ま、言ってしまえば、亡くなった姉貴がジェームス・ウッズのファンだったからで、つまり、そういう風な理由で選んでます。第一、洋画の名前を100思い出すのだって一苦労だろう。ベスト100を選ぶほど映画を見てないのだ。



私の好きな洋画 その二



子供の頃、映画館で見たものを中心に選んでいたら、70年代の話題作が並ぶ、何の特色もないラインアップになってしまった。「屋根の上のバイオリン弾き」はひょっとしたら、後年見たのかもしれない。当時の私が見るには、ちょっと重すぎる映画なのですね。


007にロジャ•ムーアの主演作を選んだのは、私が公開を楽しみにして見たのはムーアの007だから。ショーン・コネリーの007も好きだが、間に合っていない。今の007は、ユーモアに欠けるから、あまり好きではないですね。私の子供の頃は、ダブルオーセブンではなく、ゼロゼロセブンと呼んでました。


「チキチキバンバン」は生まれて初めて、映画館で見た映画だと思う。「ベンハー」でハンセン氏病の怖さを植え付けられた。この病気への偏見を広めたたという意味では、「砂の器」と双璧ではないか。チャールトン・ヘストンのダイナミックな苦痛の表現がすごかったが、今考えると、あれは、向こうの女の人にとっては、セクシーな表情なのではないか。

「燃えよドラゴン」のアクションのスピードにはたまげた。一発、一発、力を込めて殴る西部劇の殴り合いも良いが、この映画見た後では、いささかスローでよろよろしているように見えたものだ。東洋武術の存在が、西洋で認知された最初ではないか。ただ私は、ブルース・リーにははまらず、次に来たジャッキー・チェンにハマった。


「ジョーズ」で動物パニックものを初めて見て、その怖さに圧倒された。ロイ・シャイダーの保安官が弱そうなのに親近感。「ポセイドンアドベンチャー」は海洋パニックもののハシリか。ジーン・ハックマンの演技は、カトリック=権威主義的、プロテスタント=庶民的という私のイメージを決定づけた。何しろ牧師さんが、神様に文句をつけるのだ。

「タワーリングインフェルノ」二大スターの共演にポスターの名前の配置まで工夫する気の使いよう。スティーブ・マックイーンの名前が先にあるが、ポール・ニューマンの名前を一段あげている。(笑、映像で確認してみて下さい)こう見ていくと、あの頃に、パニックものの原型は出揃っていた感じだ。


「エクソシスト」ホラー映画の金字塔。エクソシスト=悪魔祓い、などという訳の分からない英単語を殆ど日本語にしてしまったのだから凄い。あの頃、海原千里万里が「千里でーす、万里でーす、エクソシストです。」とギャグにしていたと記憶する。「スティング」も耳慣れない英語タイトルだが、ラストに拍手喝采。だが、今、考えると「あんなに上手くいくかい」とも思う。テーマ音楽が、いかにもこの映画にマッチして、軽妙軽快ご機嫌でありますな。



私の好きな洋画 その三



今回は、ラブストーリーだけにしようと企てたのだが、3つで挫折した。恋愛映画は、あんまり見てないのだ。例えば、「風と共に去りぬ」が70年代にリバイバル上映されているが、見ていないし、おそらくこれからも見ないだろう。


「ある愛の詩」は、ガキなりに感動してアリ・マッグローのファンになった。(この邦題は、なかなかの傑作。今なら、ラブストーリーとそのままやるでしょうね。) だから、「ゲッタウェイ」はスティーブン・マックイーンよりも、むしろアリ・マッグローを見に行った。「小さな恋のメロディー」これは、当時、小学校で、そういうゴッコが流行ったと思う。


「オーメン」は「エクソシスト」と共に、私が初めて心底怖いと思った映画。これ以前には、ドラキュラなど怪奇映画は見たことがあっても、こういう本格的ホラーを見たことがなかったのだ。


「チップス先生さようなら」は理由が言葉にならないが好きな映画である。少しヘンかもしれないが「無法松の一生」と同質の感動を受けた。「市井の、普通の人の人生の黄金時代」みたいな、曖昧な言葉が頭に浮かんでくる。


「バラキ」は、自分のマフィアもの好きの原点だと思っていたが、公開は「ゴッドファーザー」の方が早かったのですね。マフィアの存在を初めて白日の下に晒した「バラキリポート」を下敷きとする実録ものである。「十戒」は海が割れるシーンがすごいと聞いて見に行った気がするが、「エアポート75」も見ているところを見ると、チャールトン・ヘストンのファンでもあったようだ。


「カプリコンワン」これは面白かった。ああゆう風に、陰謀説を秀逸にフィクションに仕立てた映画は初めてだったので、ビックリし興奮した。ずっと後になって「ワッグザドッグ」を見た時、この映画を思い出した。(話が逸れるが、「ワッグザドッグ」の日本語副題「噂の真相」というのはなんだ。配給会社さん、いい加減にしろよ。だいたい岡留氏に許可は取ったのか・・・笑)


「ミスターブー」を入れようとして、洋画ではなく香港映画であることに気付いて断念した。友達と誘い合って行った映画で、一番、印象に残っているのが、この映画。めちゃくちゃ笑える映画でも無かったが、今でもこの映画の主題歌を聴くと、なんだか元気が出てくる。だが、「香港加油!」と言ってももう遅いのだ。嗚呼。


「ひまわり」は劇場で見た時は実は良くわからず、少し大人になってから、テレビかなんかで見たときに感銘を受けた。駅での再会のシーン、ドキュメンタリーのカメラみたいに粗いのだが、率直なカメラワークに大変に感動した。要するに人間が普通にものを見るように、カメラが撮っているのだ、と思った。ズームアップというのは、人間の目には備わっていない機能なのだが、つまりは人間の意識がそこに「寄る」という事なのだ。



私の好きな洋画 その四 ※タネアカシ少しあり



今回は子供の頃、テレビで見たと思う洋画を中心に選んだ。


「コレクター」は淀川長治の解説で見た。映画自体はよく意味がわからなかったのだが、「階段を、ゆっくり、ゆっくりと水が降りてくるところ、怖いですねえ、怖いですねえ」(笑)と解説したのを覚えている。(誘拐監禁された女が助けを呼ぶために、2階の浴室の水を溢れさすのである。)


「おしゃれ泥棒」、中身はほとんど忘れたが、オープンカーに乗ったオードリー・ヘプバーンとピーター・オトゥールのラストシーンが印象的。ミイラ取りがミイラになる、というオチだったような・・・


スピルバーグの「激突」はリアルに怖かった。人間の悪意は、どこでスイッチが入って、どこまでエスカレートするのかわからない。その怖さ。「あおり運転」事件が続発する昨今の状況を先取りしている。


「ミクロの決死圏」アイディアの勝利。コロナウィルスもこれで退治してもらいたかった。体内でワクチンを作ってしまうのだ。邦題も大傑作だろう。原題はファンタスティックジャーニーだから、これじゃ何のことかわからない。手塚治虫の漫画をパクったという説あり。アソトロボーイが既にアメリカで放映されていたから、ハリウッドのプロデューサーは、日本の天才漫画家にアンテナは張っていたに違いない。


「荒野の七人」のテーマは、日曜映画劇場のOPだったか。ユル・ブリンナーのドライな感じが「七人の侍」の勘兵衛とはまた一味違って、これはこれでよいし、若いマックイーンの軽みのある演技が楽しい。おそらく、自分は、名作「七人の侍」より、このハリウッド版リメイクを先に見たように思う。


「OK 牧場の決闘」テーマ音楽が素晴らしい。冒頭の音楽が流れてくるだけでゾクゾクしますね。ドク・ホリディ役のカーク・ダグラスが、白いハンカチに真っ赤な血を吐くのが怖かった。


「スパルタカス」奴隷蜂起のシーンと、自由の身になったジーン・シモンズが気持ちよさそうに池で入浴するシーンが印象に残っている。後に「隠し砦の三悪人」で、戦争捕虜が城から大量脱走するシーンを見た時、その迫力に驚き、「スパルタカス」の奴隷蜂起のシーンよりスゴイな、と思ったものだ。それまでは「スパルタカス」のあのシーンが一番すごいと思っていたわけだ。


「戦場にかける橋」運動会でこの映画のテーマ曲「クワイ川マーチ」を縦笛で吹い行進した。タイで「クワイ川」と言わないように。日本人の発音でそういうと、タイ語では男の一物を意味します(笑) 「クエー川」と呼べば、通じないまでも、勘違いされる事はないと思う。


「十二人の怒れる男」室内劇、法廷劇の白眉。蒸し蒸しする室内での激論がひとしきりあった後、誰かが窓を開け、しばらくして夕立が降って来た時には、本当にホッとした。「アメリカ式民主主義は素晴らしい」と洗脳させられた名作。元々は現在のCBSで放送されたテレビドラマで、当時の事だから、収録ではなくライブ中継されている。劇場中継のように撮るのではなく、最初、俯瞰気味だったカメラが、議論が白熱するにつれて、だんだん目線の位置まで下がってくるのである。やはり、アメリカはすごい国だ。


「ライムライト」チャップリンの映画では「殺人狂時代」の次に好きだ。ラスト、「足がどうしても短くなってしまう」ギャグを演じる、チャップリンの体技が素晴らしい。公開当時63歳の年齢を考えると驚異的だろう。また、チャップリンの少女趣味的な女性遍歴が行き着いた旅路の果て(笑)、とも解釈できそうな映画た。ポテンツを失った老芸人は、若い競争者に道を譲って、少女の幸せのために、ライムライトを浴びながら退場するのである。ああ美しい(笑)



私の好きな洋画 その五



1980年代の映画から。「年代流行」サイトで選ぶと、当たり前のことだが、説明不要の大ヒット映画が並んでしまった。(「年代流行」のアドレスはコメント欄に)


唯一、説明が必要と思われる「ザディアフター」は、偶発核戦争の恐怖をシュミレーションした近未来映画。1984年の公開だが、今、年表をみると、前年にテレビ放送され、全米で40パーセントの高視聴率をあげたとある。劇場で見たことはハッキリ覚えているから、テレビ映画を劇場公開したのだろう。この年、欧州で米の中距離核配備に反対する20万人デモが起こり、反核運動が盛り上がっていたようだが、私は近未来SFとして気楽に見た。でも、その後、世の中が核で緊張するたびに思い出す映画になった。


「スターウォーズ」は、一作目が70年代で、二作目の「帝国の逆襲」以降が80年代なので、どちらに入れるか迷っているうちに、いれ損ねてしまった。最新作はまだ見ていないが、他は全て劇場で見ている、といっても、熱狂的ファンではないから、こういう粗雑な扱いになった。すいません(笑) 「スターウォーズ」は、ストーリーは普通のスペースオペラだが、特撮(と、当時は言っていた) の凄さに驚いた。といっても「ジュラシックパーク」の「こんなもの生きているうちに見られると思わなかった」という感動には及ばないのである。

他の映画にも一応触れておく。


「ダイハード」アクションムービーの白眉。お杉とピーコがテレビでこの映画を激賞していた。映画を見てみると、実際、めちゃくちゃに面白かったので、このオカマ芸人のハシリ(あ、カルセールマキがいたか)を信用する気になった。今考えると、この人たちは、大変な先駆者だ。


「ブラックレイン」一種の「異文化衝突もの」。面白かったが、高倉健の演技が、やはりクサイのである。特に、ラストの空港での別れのシーンはやりすぎ。松田優作の演技も、歌舞伎役者が舞台で見栄を切っているようで、海外の観客のウケを狙ったケレンだろう。だが、娯楽映画なのだから、漫画チックなところがかえって良いとも言えるのだ。役者では、マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、若山富三郎がよかった。


「クロッコダイルダンディ」これも、私の名付けるところの「異文化衝突もの」だが、こちらは、「オペラハット」以来の伝統に則って、上品に、ケレン味なく、余裕たっぷりに映画を楽しませてくれる。「オペラハット」や「スミス氏都へ行く」の地方と都会との対立が、ニューヨークという超都会とオーストラリアのど田舎という対立に置き換わったのである。そして、当然、素朴だが知恵のある田舎紳士が、軽薄な都会人に勝利するのだ。ああ気持ちいい(笑)


「ゴーストバスターズ」マシュマロを焼いて食う、という食べ方がある事を初めて知った。ライオネル・リッチーが歌うテーマが、耳に取り憑いて、今でもメロディとフレーズが浮かんでくる。角川のメディア戦略の影響か、この頃くらいから、テレビで映画の宣伝をバンバン流すようになった。だから、多くの場合、映画を見に行く前に、映画のテーマ音楽が既に耳に馴染んでいたのである。この映画で、〇〇バスターズという外来語が日本語に定着したと記憶する。


※レイ・パーカー J. でした。訂正、失礼!


「バックトゥーザヒューチャー」この間、マイケル・J・フォックスが、パーキンソン病への理解促進に貢献したと、何かの映画祭で特別表彰されていた。スピーチする彼の体は、小刻みに震えていたが、彼は今でも、この映画の主人公を演じているように、自分には感じられた。この映画を自分が見ていた時代に、バックトゥーザヒューチャーしたいという人も多いのではないか。映画は60年代ノスタルジーだが、こちらは80年代ノスタルジー。


「インディージョーンズ、レイダース、失われたアーク」こう書くとめちゃくちゃ題名が長い。この映画を見た時は、「こんなに面白い映画が世の中にあるのか」と驚愕したものだ。映画に面白くない要素が一つもなく、ほぼ全ての時間が面白いのである。これは、それまでの映画作りの作法からすると、メリハリの無い、良くない映画の作り方ではなかったか。しかし、観客の方は、一度こういう映画を見せられると、これを基準に映画への要求をエスカレートさせて行くのである。名は知らないが、ヒロインを演じたガラガラ声の女優のファンになった。


「ポリスアカデミー」シリーズものの原則に違わず第一作が一番面白い。頭をカラッポにしたい時に見る映画。単なる悪ふざけ映画だが、こういう物も無いと、ただただ笑いたいという時に見る映画がなくて困るのである。この映画に、銃声などの効果音を口三味線で巧みに真似る黒人警官が出てくるのだが、その当人が、最近、Xファクターだかのオーディション番組に出ていた。懐かしさに、観客は拍手喝采していたが、審査員には酷評されていた。もう、ありきたりな芸になってしまっているのである。あの頃は、素晴らしく斬新だったのだが。


「ブルースブラザーズ」ずっとサングラスをかけていたジョン・べルーシが、キャリー・フィッシャーに命乞いする時にサングラスを外す、その瞳が、妙にキラキラしていて笑わせる。「マカロニほうれん荘」という漫画のお目々キラキラキャラクターを思い出した。この映画に出ていたミューシシャンは殆ど鬼籍に入ったのではないか。アレサ・フランクリンも数年前に亡くなった。パート2が作られていて酷評されているが、私は2も好きである。この頃はまだ、パートワンに出演したミュージシャンが生きていたのだ。


しかし、80年代の10作品、入れ忘れたスターウォーズも含めて全て、タイトルが原題そのままのカタカナ邦題である。日本が金持ちになって、海外へ行く人も増えて、カタカナの横文字タイトルに抵抗を持つ人が減ったからだろう。



私の好きな洋画 その六



1990年代の映画から。


「バックドラフト」アメリカ消防庁推薦映画。シカゴ消防局の本物の消防士がエキストラとして参加した葬送のシーン。これには泣ける。


「パトリオットゲーム」ハリソン・フォードの円熟期。主人公はこのあと大統領になるんだったか。


「リーサルウェポン」ベトナム帰還兵ものの完全エンタメ化。アメリカはタフだ。メル・ギブソンの狂信者としての地が娯楽映画に生かされた。


「ジュラシックパーク」プラキオサウルス、ドーン。「わああああ、こんんなものが生きているうちに見られるとは思わなかった!」この感動が全て。


「トルゥーライズ」シュワちゃんの奥さん役のトニー・カーチスの娘が妙にセクシー。というか、この人はナイスボディが売りだったのだ。


「ボディガード」黒沢と「用心棒」へのリスペクトが嬉しい。


「スピード」駄々っ子みたいな悪者、デニス・ホッパーが可愛いらしい。アイディアは「新幹線大爆破」のパクリか。


「フォレストガンプ/一期一会」アメリカ流ホラ話で映画が作れるとは!ガンプ=失われたアメリカなのですな。


「メンインブラック」エイリアンもののパロディっぽいコメディ。冒頭近くに出てくるゴキブリ男がおぞましかった。


「アルマゲドン」ラスト、瞳からのフラッシュバック。娘を持つ男で泣かないものはいないだろう。


1980年代に続き、90年代も、題名は、全て横のものを縦にしただけ。というか縦にすらなっていない。嘆かわしい。だから自分で邦題を考えてみる。


「バックドラフト」=「逆気流爆発〜消防士を殺すのは誰だ?」 「パトリアットゲーム」=これは「愛国者のゲーム」で良いではないか。 「リーサルウェポン」=「危ない刑事」パクった 「ジュラシックパーク」=「恐竜パークへようこそ」ほぼそのまんま 「トルーライズ」=「嘘からでたマコト〜スパイvsダーリン」 「スピード」=「止まれば死〜ロスアンゼルス暴走バス」 「フォレストガンプ」=「アメリカを探して」というS&Gの歌があった 「メンインブラック」=「地球防衛エージェント〜黒い服の男」 「アルマゲドン」=「隕石大衝突〜地球最後の日」パクった

うーん、これで邦題を批判できなくなった。(笑)



私の好きな洋画 その七



2000年代以降の映画で10本選ぼうと思ったが、とてもとても。5本選ぶのが精一杯で、その内3本が映画サイトに投稿し始めた数年前以降のもの。この頃には、もう新しい映画を見なくなっていたのだ。


「アバター」は子供と劇場で見ているがイマイチだった。この映画の特撮(この頃既にCGという言葉が一般化していたと思うが)は、スターウォーズの頃より退化しているのではないか。映像のリアル感が希薄で感情移入できなかった。


「ハリーポッター」は劇場で何本か見ていて、こちらは面白いし好きだが、入れそびれた。こう書くと、子供が小さかった頃は、まだ映画館で映画を見ていたことに気づく。懐かしい。


ダウン何とかジュニアがシャーロック・ホームズを演じた映画も劇場で見た。これが子供と劇場で見た最後の映画ではなかったか。思い出深いが、ホームズはシックに演じてもらいたいので「好きな映画」ではないのである。


今、孫の映画館デビューを何にしようかと考えているが、4、5才の子供に安心して見せられる映画が、思い浮かばない。「チキチキバンバン」みたいな映画がいいのだが・・・。「Dr.ドリトル」の続編みたいのでも良いと思う。


あとの5本は、思いつくまま選んだので年代は関係ない。あ、「ジョンQ 」が2002年だから、2000年以降が全部で6本か。しかし、これは公開時でなく、随分たってからビデオかテレビで見た。


以下、短くそれぞれの映画に触れておく


「羊たちの沈黙」心底怖い映画だったが、シリアルキラーを神格化する傾向が気に入らない。連中、所詮は、精神の荒廃した変態野郎にすぎないのだから。コリン・ウィルソンの「殺人百科」など読むと、著者の意図とは別にそう思う。


「スパイダーマン」ヒロイン、メリージェーンの危なかしい感じが良いし、端的にセクシー。庭付きでない建て売り住宅に住むアメリカ人の生活というのも映画では珍しい。あれが、向こうの労働者階級家族の標準的住居なのではないか。


「ベストキッド」三船敏郎が、このアジア系の空手師匠役(ミヤギの役)を蹴ったという話しだが、これはパット森田の方が適役だろう。三船だと偉く見えすぎて、マイナリティとしてしたたかに生きてきた男の飄々とした味がでない。


「ワンシアポンナタイムインハリウッド」これは随分ぶりに映画館で見た。シャロン・テート殺人事件のパラレルワールドを描いて、タランティーノの流儀でスカッとさせてくれる。中年太り気味のデカプリオがいい味出しているのに驚く。


「1917 命をかけた伝令」伝令の任務を帯びて危険な前線を突破する二人の若い兵士を、全編、ワンシーン、ワンカットで描いた。すごいと思ったが、プライベートライアンの怖さには及ばなかった。使われる兵器が進化したせいだろうか。


「アイリッシュマン」冒頭、老人ホームで暮らす元マフィアのヒットマン(ロバート・デニーロ)を訪ねるドリーショットが安っぽく波打っているのに驚いた。後で考えると、あれはテレビの取材カメラとして見せていたのだな。デニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシの共演、これだけで私は十分。


「裸の銃を持つ男」エリザベス女王はおろか、某国のイスラム革命の指導者まで徹底的にコケにするど根性がすごい。英国人の反応が知りたいところだが、女王は、それなりに愛すべき人物として描かれてはいるから、野暮な事は言わないのではないか。我々もそのくらいの度量を持ちたいものだ。


「スターウォーズ」1980年代の映画で選び損ねたので、ここに入れておく。「隠し砦の三悪人」の影響がよく指摘されるが、例のロボットキャラだけではなく、物語の構成や、衣装、人物の配置の仕方まで、これは、50パーセントくらいのリメイクと言っていいのではないか。

「狼たちの午後」原題は、Dog Day Afternoon 、めちゃくちゃ暑い日の午後、という意味だが、邦題はかっこをつけて、「狼たちの」としている。映画を見ると、狼じゃなくて、せいぜい「野良犬たちの午後」だろう、と思った人が多いのではないか。そちらがこの映画の味である。


「ジョンQ」心臓の難病にかかった息子を救うため、病院を占拠し人質の解放と引き換えに、高額な手術を要求する男の話し。ミヒャエル・コールハース 的に行動をエスカレートさせる偏執狂的な男を演じて、デンゼル・ワシントンに匹敵するのは、メル・ギブソンくらいだろう。



私の好きな洋画 その八 タネアカシあり



今回は白黒映画から選んだ。ポスターはカラーですが。


日本語題名が入っているポスターを使うことを原則としていたが、邦題入りのものに良いのがなく、オリジナルのポスターを選んでしまったものがいくつかあります。統一性に欠けて気持ち悪いが仕方なし。


「第三の男」オーソン・ウェルズが観覧車で語る哲学に衝撃を受けた。しかし、今でもまさにその通りなのであって、例えば、新型肺炎がアフリカでだけ流行していたら、このような騒ぎにはならず、ボノが感動的なコンサートを開く余裕が我々にはあったろう。


「モダン・タイムズ」移民としてアメリカに渡ったホボーは、10数年の歳月を経てもアメリカ社会に根をおろせず、近代の生産システムから弾き飛ばされて放浪の旅を続ける、しかし、今は伴侶らしきものを隣に得て。いやあ、感動的なラストでした。


「フリークス」見世物小屋版必殺仕掛人風勧善懲悪劇映画。相模原の障害者施設の事件の犯人もこのような目に合わされるべきだった。しかし、誰か立ち上がって抵抗する健常者はいなかったのか?と思うのは私だけですかね。


「戦艦ポチョムキン」早稲田のアクトミニシアターで見た。階段の乳母車の場面が有名だが、甲板に吊り下がった大きな肉にウジがたかっている、そのウジのアップが印象に残っている。きゃー、気持ちわりいいい。


「母」ゴーリキー原作。監督はエイゼンシュタインと並び称されるソビエト映画の巨匠。自らの責任で息子を官憲に殺された「母」が、主義に目覚め、赤旗を掲げてデモに参加するラストシーン、圧巻のモンタージュではあるが、今から思えば、「お前らの方がツアーより酷かったな」と言いたくなる。


「灰とダイヤモンド」淀川長治がこの映画をこき下ろしていたような記憶がある。暗殺が成功して花火が上がるシーンと、主人公が埋め立て地のようなところでもがき苦しみながら死んでいくラストしか覚えていないが、この映画を思い出すときに立ち上がってくるある種の気分が好きである。


「自転車泥棒」お父さんがみんなに殴られるのをみて、火がついたように泣き出す男の子。あれは演技ではないのではないか。本当の親子か、あるいはそのような関係を作っておいて、説明なしにあの光景を見せれば、当然、子供は泣き出すだろう。


「オペラハット」ゲーリー・クーパーが法廷で見せる人間観察の妙が素晴らしい。戦前の映画だが、スキャンダルジャーナリズム批判という映画のテーマは少しも古びていない。キャプラはすごいですな。また、この監督は、バニー・サンダースの大先輩にあたるアメリカの社会民主主義者ではないか。


「或夜の出来事」ラブコメ映画の古典。「お姫様逃避行もの」とでも言うか。「ローマの休日」あたりが影響を受けているだろう。ラストは「卒表」。反発しあう男女が同じ部屋に寝ることになり、二人の間にしきりを作る(ジェリコの壁)ところなどは「幸福の黄色いハンカチ」がパクっている。と、こう書くだけでどれだけすごい映画かわかるでしょう。キャプラは偉い!


「僕の村は戦場だった」タルコフスキーには前衛というイメージがあるので敬遠しているが、これは素直にいい映画。夢の中でお母さんから水をもらって飲む、冒頭のあのシーンを見るだけで、いつも胸が締め付けられるような気持ちになる。某国の独裁者は、今こそ、この映画を見るべきだろう。



私の好きな洋画 その九 タネアカシあり



この回は、YouTube のお陰で、パブリックドメインとなったものを初めて見ることができたり、再見して印象を新たにしたり、あるいは、映画の存在を知って見るにいたった映画を選んだ。いずれにしろ、出逢いにYouTubeの存在が欠かせなかった映画である。


「見知らぬ乗客」交換殺人ものの嚆矢だが、そこからさらに捻っている原作のアイディアがスゴイ。こんなことをされたら困り果てますぞ。犯人が、主人公にヘンな執着を抱いているところは、今で言う、ストーカーだ。同性愛も少しは入っているのかもしれない。


「駅馬車」活劇シーンも良いが、ジョン・フォードは、理想化されたアメリカの縮図を駅馬車の人間模様で描こうとしたのだろう。旅の途中で赤ん坊が生まれ、朝日の中であらくれ男達が歓声を上げるシーンに大感動。


「愛の調べ」シューマン夫妻の美しい愛の物語。しかし、クララがブラームスの求婚に応じなかったのは、シューマンが梅毒にかかっていたことを知っていたからでは、とか、梅毒菌の子供達への影響は?とか色々余計なことを考えてしまう。映画は梅毒については触れていない。


「素晴らしきかな!人生」リアルにディストピアを描いておいて最後にファンタジーで救うという手法を確立した名匠フランク・キャプラの傑作。これならなんでもハッピーエンドにできてチョー便利。(笑) おそらく映画監督としてのキャプラ の主な関心はディストピアによる社会批評にあり、ファンタジーによるハッピーエンドは観客のためである。


「スミス氏都に行く」田舎から来た素朴だが賢い男が、都会の軽薄で功利的な輩と対立し、最後には勝利する。強いですなあ、この物語の類型は。そういえば「オペラハット」もそうだった。キャプラ は偉い!


「チップス先生さようなら」の戦前バージョン。ピーター・オトゥールのはリメイク、というか同じ原作を元にした戦後バージョンなのですね。第一次大戦を背景に、あまりセンチメンタルではない「二十四の瞳」を見た印象。


「Latcho Drom〜Safe Journey」インド北西部からスペインまでジプシーの歴史的旅を各地の音楽で綴ったセミドキュメンタリー。YouTube がなかったら、この映画を見ることはなかったろう。ラストのフラメンコ歌手ラ・カエタのシャウトが圧倒的。


「ベンゴ」アンダルシアに根を下ろしたジプシーファミリー間の葛藤を描く。監督はLatcho Drom のトニー・ガトリフ。主演男優の、いつもびっしょり汗をかいているような、酒飲み風情がよい。一種のミュージカルでもあり、上述のラ・カエタも出演する。


「チャップリンの移民」カラー化されたものをYouTubeで見た。チャップリンの浮浪者は船でアメリカにやってきた移民だったのだ。アメリカだからあたり前なのだが、この映画を見るまでちゃんと意識したことがなかった。移民がアメリカに根をおろし、まともな生活をするために奮闘する姿を描くのが、チャップリンの一連のサイレント映画だったわけだ。


「チャップリンの黄金狂時代」これは最初、1990年代初頭のカンボジアで見た。セリフがないから、翻訳してタイトルを入れたり、吹き替えたりする必要がない。当時のカンボジアにそんなことをする余裕はないから重宝されたわけです。それでも、みんな映画を見て大笑いしていたのだから、チャップリンの無声映画は偉大である。これこそが映画の存在理由ではないか。



私の好きな洋画 その十



落穂拾い。(笑) しかし、映画見てないな、ぜんぜん。


例えば、「太陽がいっぱい」が入ってないのは、この映画を見たことは確かだが、本編自体よりも、その周辺で見聞きした情報の方が厚くなってしまい、映画自体の印象が薄くなってしまっているから。再見しないのは、基本的にアンハッピーエンドの映画が嫌いだからだろう。


「太陽がいっぱい」以外は、フランス映画を殆ど見ていない。ベルイマンなども一作も見ていないし、フェリーニは「道」と「8 1/2」しか見てない。(あ、「道」を入れるの忘れてた。) ビスコンティは「若者の全て」は見たような気がするが、他の作品は、何か難解そうで敬遠している。そういう人間が、ホウホウの体で選んだ100の映画ということでご容赦を。


「抵抗の詩」という東欧かどこかの映画を入れるのを忘れた。この映画は、早稲田のアクトミニシアターで、終電までの時間つぶしにうつらうつらしながら見たのだが、偶然目が覚めた時、眼前に展開したシーンに衝撃を受けた。


パルチザンの少年たちを銃殺する命令を拒んで、ある若い兵士が、憤然と小銃を投げ捨て、その場を立ち去ろうとするのである。とたんに背中を一発ズドン。この兵士は、これでジ・エンド。「人々の称賛を受けることもなく5秒でジ・エンドとなる英雄的行動に何かの意味があるだろうか?」寝ぼけた頭でそういうことを考えたが、酔っていたためか、涙がダラダラ流れてきた。


以下、ここの映画について触れておく。


「スクールオブロック」このスクールは、学校という意味と、学派、教派みたいな意味をかけていると思う。ジャック・ブラック演ずるロック狂いの男が、同居している友人になりすまして有名進学校の代用教員に就職し、子供達を丸め込んでロックバンドを作ってしまう、そういう映画。突破者的オタクキャラというのは、この人のハマり役、というかそういう役しかやっていないのではないか。


「地獄の黙示録」では、マーロン・ブランド演じるアメリカの陸軍大佐が、ベトナムのある部族に君臨して、独立した王国の王のようになっている。これを見て、子供の頃読んだ「カチンの首かご」というノンフィクションを思い出した。ビルマ戦線で戦った日本の敗残兵が、カチン族に救世主に祭り上げられ、部族の長となる実話である。映画の結末が難解なのは、マーロン・ブランドがデブになりすぎて暗殺シーンが撮影できず、牛の屠殺シーンとブランドの横顔でお茶を濁したためのよう。迫力だけはある映画だった。


「荒野の用心棒」黒澤明の「用心棒」の大変に忠実なリメイク。「七人の侍」をリメイクした「荒野の七人」よりも原作に忠実なのは、「用心棒」が、元々、ハメットだかのハードボイルド小説が原作だからだろう。「対立する組織をけしかけて共倒れになるまで戦わせる」という発想や、「善悪定かならぬ」というタイプの主人公は、元々、ハードボイルドのものなのだ。クリント・イーストウッドが、日本的に少しは人情味がある三船の三十郎を、ハメット流のドライな元祖タフガイに先祖返りさせたという印象である。


「知りすぎていた男」北アフリカのある町の薄暮(モロッコだろう)、旅先のホテルで、夜のお出かけのための身支度をしながら、ドリス・ディが男の子と歌う「ケセラセラ」のシーンが素晴らしい。ジェームス・スチュアート主演だが、この映画はドリス・ディの映画である。「裏窓」「めまい」もそうだが、ヒッチコック作品でのジェームス・スチュアートは常に女優の引き立て役だ。


「サイコ」裸の体をナイフでグサグサと刺される、これは、真剣を手で掴んでしまうのと同じくらい生理的に嫌だ。映画は、この感覚的な怖さが一番で、異常心理的なもの、犯罪実話的怖さは、自分には、それほどでもなかった。映画よりも、実話の方がずっと怖いし、映画としては「羊たちの沈黙」の方が怖い。それにしても、アンソニー・パーキンンスは、この役を受ける事で、その後のキャリアを台無しにしたのではないか。それとも、もう、青春スターとしては落ち目だったからオファーを受けたのか。とにかく、このキャスティングの効果は絶大だったと思う。


「トゥルークライム」クリント・イーストウッドが、家庭にも仕事にも行き詰まったロートル記者を演じる。陪審裁判での人種偏見というアメリカ社会の大問題を扱っているのだが、それほど深刻にならず、死刑執行という文字通りの「デッドライン」を切られた、冤罪事件の真犯人究明を、ハラハラさせながら楽しませてくれる。このあたりの匙加減は、さすがに大ヒットメーカー、クリント・イーストウッドだな、と感心した。注射による死刑執行のシーンを、この映画で初めて見た。


「バットボーイズ」アカデミー賞でクリス・ロックを殴り、実は頭が悪いことを露呈してしまったウェル・スミスより、相棒役を演ずる、間抜け面をした、あの愛嬌のある黒人俳優が好きである。好きだが、名前は失念した。ビッグママとかいう名前の映画も面白かった。ウェル・スミスも、「エネミーオブザステート」でジーン・ハックマンと共演した時は、いじめられ方にコメディアンとしての味がまだ残っていて良かったが・・・あ、「エネミーオブザステート」を入れるのを忘れた。


「ザ・コップ」亡くなった姉貴がジェームス・ウッズのファンで、彼のことを「ウッズ様」と呼んでいた。ウッズ演じる主人公の刑事は、まだ4歳くらいの幼い娘に、この世の中の冷酷無残な現実に早く慣れさせるために、捜査中の事件の事などを毎晩話して聞かせるのである。こういう異常な男の家庭生活がうまく行くはずはなく、妻との関係は必然的に破綻するのだが、自分にも同じくらいの年頃の孫がいるので、このサイコパス刑事の気持ちがわからなくもない。要するに、「この子も大きくなると、色んな酷い目にあうのだろうな」と思うと、耐えられない気持ちになるわけで、強迫神経症からくる一種の防衛機制だろう。


「パッチアダムス」ロビン・ウィリアムス主演の社会派映画。題名は実在する人物の名前で、アメリカの医療制度の改革を訴え、実行した人らしい。自分が作った無料診療所で、ホームレスの男に恋人が殺された後、主人公が、思い出の場所である渓谷を訪れ、崖上に立つ。明らかに自死を考えているのだが、その時、崖下から、黄色い蝶が舞い上ってきて、主人公の肩に留まるのだ。このシーンに感動した。この蝶が何を意味しているか、日本人には明らかだろうが、あちらにも「生まれ変わり」という観念があるのだろか。


「リプレイスメント」キアヌ・リーブスが落ちこぼれアメフトチームのクォーターバックを演じる正当派スポ根コメディ。ヘッドコーチ役が、ジーン・ハックマン。全編悪ふざけに終始する「メジャーリーグ」などより、スポ根ドラマとしてはこちらの方が好きだ。「スピード」と並んで、キアヌ・リーブスの好青年的魅力が際立つ映画ではないか。ヒロイン役の行きつけのパブの女主人が、素晴らしくセクシー。テーマ音楽として使われた、I will survive も良かった。


これにて洋画編終わり。

bottom of page