その昔、映画「地獄の黙示録」に激怒していた件について。(映画感想文?)
- akiyamabkk

- 4月20日
- 読了時間: 5分
更新日:4月23日
ベトナム戦争終結50周年が近づいてる。以前は、圧倒的に北ベトナム贔屓だったが、今では、「ロシアがウクライナでやっていることは、北ベトナムが南ベトナムでやったことと外形的には同じではないか?」とまで考えるようになってしまった。自分の中での「ベトナム戦争神話」の崩壊である。(遅いか?)
もちろん、北ベトナムには対仏戦以来の独立の大義があったわけで、ベトナム戦争は、ロシアが今やっているような明白な侵略戦争ではない。だが、南ベトナムの立場を韓国に置き換えた場合、南ベトナムの側には独立の大義がなかったとは言えないと思うのだ。(北ベトナムが北朝鮮よりうまくやっていることは、疑いの余地はないが)要は、以前自分にもあった「社会主義の体制的優位性への幻想」が、北ベトナム支援の世論を形成した大きな要因ではなかったかと思う。
自分はかなり遅れてきた世代だけれども、その昔、ハリウッド映画「地獄の黙示録」や「ディアハンター」を見て、「解放戦線を貶め、デモナイズする政治的な意図を持ったアメリカ帝国主義の映画だ」と向っ腹を立てたものだった。「ディアハンター」に関しては、例の、「ロシアンルーレット」のシーン。
「地獄の黙示録」で自分が怒ったのは、ベトコンの残虐性を表現するエピソードで、「米軍が、子供たちにポリオの?予防注射を打ってあげたら、翌日、村にベトコンが現れて子供達の腕を切り落としていった」というヨタ話しが語られていたからだ。「そんなことをしたら人民の支持が得られないだろうに、馬鹿馬鹿しいにも程がある!」と思ったわけだ。確か、チャーリー・シーンの親父が演ずる、米軍の特殊部隊員が語るセリフだったと思う。
その考え自体は今でも変わらないが(そこまでやると逆効果でしょうに)、おそらくは、下にあるような証言と帰還兵への聞き取りを元に、脚本家(なんと「ディアハンター」と同じ人である)が想像力を膨らませた結果ではないか?
”On May 11, 1967, State Health Secretary Dr. Tran Van Lu-Y told the World Health Organization in Geneva that more than 200 doctors and medical workers in South Vietnam had been victims of the VC in the previous ten years. He said that 211 members of his staff have been killed or kidnapped; 174 dispensaries, maternity homes and hospitals destroyed; and 40 ambulances mined or machine-gunned.[2]: 105 ”
あるいは、ベトコンに対する米軍兵士の被害妄想的恐怖感が、この種の都市伝説的風聞を彼らの間で広めさせていたのかもしれない。米兵が感じていた恐怖感を、アメリカの映画制作者がフィクションとしてどう表現しようと、それは、その作品の自由なのである。「ベトコンの残虐性」について言うならば、「白を黒と言いくるめた」わけでもなさそうなのだ。
シビリアンに対するテロ行為が、北ベトナムと解放戦線の対南戦略の一部であったことに関しては、次のようなベトコンの内部文書が公表されている。
”PAVN/VC forces and spokesmen consistently denied using terror tactics. They attributed mass graves found at Huế after their temporary occupation of the city to spontaneous action by aggrieved communities.[2] However, the use of terror was encouraged in official VC documents. A May 17, 1965 memorandum from the COSVN Security office, directed Nguyễn Tài, the chief of security for the Saigon-Gia Định Party Committee, to "exploit every opportunity to kill enemy leaders and vicious thugs, to intensify our political attacks aimed at spreading fear and confusion among the enemy's ranks."[9] ”
”COSVN Resolution Number 9, published in July 1969 noted: "Integral to the political struggle would be the liberal use of terrorism to weaken and destroy local government, strengthen the party apparatus, proselyte among the populace, erode the control and influence of the Government of Vietnam, and weaken the RVNAF."[5]”
いずれもWikipediaからだが、こういう情報が労せず読めてしまうのだから、すごい時代になった。同じ項目に、ベトコンのテロ行為が網羅的に列挙されているのが圧巻。もちろん、情報の真偽は慎重に判断すべきだが、少なくとも、マスコミ報道に対するカウンター情報は、ごく、簡単に手に入る時代になったわけだ。(偏向報道とは敢えて言わない。偏向報道という言葉を使う人も、同じくらい偏向している場合が多いように感じるので・・・)
これらの行為を「有効な作戦」と考えるのか、「テロリズム」と呼ぶのかは、畢竟、その人の政治的立場によるのだと思うが、第三者としての自分は「テロリズム」と見なすべきだと思う。当たり前のことを言うが、市民に対する攻撃をテロと呼ばないのならば、国際法が意味をなさなくなり、戦場はより残虐なものになるだろう。これは、ハマスの市民に対する攻撃の時にも同じことを思った。コンサート会場を攻撃して参加者を殺害し、人質に取る行為をテロと言わずに、何をテロと呼ぶのか?
「英語の情報しかないではないか」(ウィキには他にもベトナム語と中国語バージョンがある)という人には、ChatGPTをお勧めする。試しに、上に引用したWikiで、ベトコンの内部文書とテロ活用方針に触れた部分を訳させてみたのが下の翻訳。いっさい添削してませんが、ちゃんと理解できる日本語でしょう。
「PAVN(北ベトナム人民軍)およびVC(南ベトナム解放民族戦線=いわゆるベトコン)の部隊や報道官は、常にテロ戦術の使用を否定していた。彼らは、フエにおける一時的な占領の後に発見された集団墓地について、被害を受けた地域住民の自発的な行動によるものだと主張した[2]。しかし、公式のVC文書ではテロの使用が奨励されていた。たとえば、1965年5月17日付のCOSVN(南部中央局)保安部から、サイゴン=ザーディン党委員会の保安責任者グエン・タイへの通達では、「敵の指導者や悪辣な暴漢を殺害する機会をあらゆる手段で利用し、敵陣営に恐怖と混乱を広めるための政治的攻撃を強化せよ」と指示されていた[9]。」
「また、1969年7月に発表された「COSVN決議第9号」では次のように記されている。「政治闘争においては、地方政府を弱体化・破壊し、党の組織を強化し、民衆への宣伝を行い、ベトナム共和国政府(GVN)の支配力と影響力を浸食し、ベトナム共和国軍(RVNAF)を弱体化させるために、テロの積極的な使用が不可欠である」[5]。」
しかし、「地獄の黙示録」、今、予告編を見返してみて、その映像の迫力だけで、「アメリカはあの戦争に深いりすべきではなかった」と感じさせるに十分な映画だと思った。反戦のメッセージのない、強烈な反戦映画なのである。
ではでは




