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私の好きな洋画 その八

  • 執筆者の写真: akiyamabkk
    akiyamabkk
  • 2024年7月1日
  • 読了時間: 3分


今回は白黒映画から選んだ。ポスターはカラーですが。 邦題が入っているポスターを使うことを原則としたが、良いのがなく、オリジナルのポスターを選んでしまったものがいくつかあります。統一性に欠けて気持ち悪いが仕方なし。


「第三の男」オーソン・ウェルズが観覧車で語る哲学に衝撃を受けた。しかし、今でもまさにその通りなのであって、例えば、新型肺炎がアフリカでだけ流行していたら、このような騒ぎにはならず、ボノが感動的なコンサートを開く余裕が我々にはあったろう。


「モダン・タイムズ」移民としてアメリカに渡ったホボーは、10数年の歳月を経てもアメリカ社会に根をおろせず、近代の生産システムから弾き飛ばされて放浪の旅を続ける、しかし、今は伴侶らしきものを隣に得て。いやあ、感動的なラストでした。


「フリークス」見世物小屋版必殺仕掛人風勧善懲悪劇映画。相模原の障害者施設の事件の犯人もこのような目に合わされるべきだった。しかし、誰か立ち上がって抵抗する健常者はいなかったのか?そう思うのは私だけですかね。


「戦艦ポチョムキン」早稲田のアクトミニシアターで見た。階段の乳母車の場面が有名だが、ポチョムキン号の甲板に吊り下がった大きな肉にウジがたかっている、そのウジのアップが印象に残っている。きゃー、気持ちわりいいい。


「母」ゴーリキー原作。監督はエイゼンシュタインと並び称されるソビエト映画の巨匠。自らの責任で息子を官憲に殺された「母」が、主義に目覚め、赤旗を掲げてデモに参加するラストシーン、圧巻のモンタージュではあるが、今から思えば、「あんたらの方がツアーより酷かったかも」と言いたくなる。


「灰とダイヤモンド」淀川長治がこの映画をこき下ろしていたような記憶がある。暗殺が成功して花火が上がるシーンと、主人公が埋め立て地のようなところでもがき苦しみながら死んでいくラストしか覚えていないが、この映画を思い出すときに立ち上がってくるある種の気分が好きである。


「自転車泥棒」お父さんがみんなに殴られるのをみて、火がついたように泣き出す男の子。あれは演技ではないのではないか。本当の親子か、あるいはそのような関係を作っておいて、説明なしにあの光景を見せれば、当然、子供は泣き出すだろう。


「オペラハット」ゲーリー・クーパーが法廷で見せる人間観察の妙が素晴らしい。戦前の映画だが、スキャンダルジャーナリズム批判という映画のテーマは少しも古びていない。いやあ、キャプラはすごい。また、この監督は、バニー・サンダースの大先輩にあたるアメリカの社会民主主義者ではないか。


「或夜の出来事」ラブコメ映画の古典。「お姫様逃避行もの」とでも言うか。「ローマの休日」あたりが影響を受けているだろう。ラストは「卒業」。反発しあう男女が同じ部屋に寝ることになり、二人の間にしきりを作る(ジェリコの壁)ところなどは「幸福の黄色いハンカチ」がパクっている。と、こう書くだけでどれだけすごい映画かわかるでしょう。もう一度、いやあーキャプラは偉い!


「僕の村は戦場だった」タルコフスキーには前衛というイメージがあるので敬遠しているが、これは素直にいい映画。夢の中でイワンが、お母さんから水をもらって飲む、冒頭のあのシーンを見るだけで、いつも胸が締め付けられるような気持ちになる。対独戦の勝利のおかげで、いまだに歴史の正義の側にいると勘違いしている某国の独裁者、つまりプーチンは、今こそ、この映画を見るべきだろう。ウクライナに大量のイワンを生み出しているのは、今や、ソビエトロシアの側なのだ。


ではでは

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