◇Lonesome Whistle とその亜流(「どうにかなるさ」「遠くで汽笛を聞きながら」)の大きな違い
- akiyamabkk

- 2024年7月29日
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更新日:9月1日
ハンク・ウィリアムスの Lonesome Whistle 。歌詞をよく聞いてみると、汽笛の音は刑務所の中で聞いているのだ。汽笛は、恋人を捨てて放浪した人生の、時々に聞いた音で、破滅した人生の象徴なのである。
この歌をパクった「どうにかなるさ」の夜汽車が、日本のある時代の、根拠のない楽天性の象徴であることと対照的でちょっと面白い。模倣された方は、「私は、抜け殻となり、髪が雪のように白くなるまで、ここに閉じ込められるだろう」と容赦なく絶望しているのである。
おそらく「悲しき汽笛」と「どうにかなるさ」の両方から想を得た「遠くで汽笛を聞きながら」は、これらの歌のニューミュージック的ツイストであり、楽天的な気分より、人生の苦さの方にやや重点を置いている。しかしながら、一生を監獄で暮らすよりは、なんぼかマシなわけで(笑)、「何もいい事がなかった」街から出て行く希望もある。ニューミュージック的な塩梅の良さ、忖度の妙である。
三曲とも好きな歌だが、年齢を重ねるにつれて、Lonesome Whistle の容赦ない絶望が身につまされるようになった。別に、監獄に入ったことがあるわけではないし、こういう歌が、人生をドラマタイズして気持ち良くなるツールに過ぎないということも承知しているが (カントリーとは、というか、歌というのはそういうものだろう)、余計な粉飾がなく正直なところが気持ちがいいのである。
以下、かまやつひろしの「どうにかなるさ」。どうです、よく似ているでしょう。まあ、これは「盗作」と言っていいレベルのような・・・
「遠くで汽笛を聴きながら」は、「インスピレーションを得た」、というやつで、盗作の要素は全くない。影響を受けた、というのも、自分の勝手な思い込みかもしれないが、まず、間違いなく、Lonesome Whistle の人生の時々になる汽笛のイメージから着想を得ているだろう。題名からして、モロに、そうなのである。
ではでは


